内容説明
東日本大震災の大津波は著者の生家・陸前高田の高台にある正徳寺の真下にまで及んだ。その夜から寺に避難した人は最大で150名を数え、庫裏での共同生活が始まった。住職で市役所職員の実弟と坊守の義妹、地域のリーダー、たじろぎつつも支援に立ち上がった全国の僧侶たちの活動を追った、心揺さぶるノンフィクション。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ぐっちー
4
震災から一年。テレビや新聞では伝わらなかった、リアルな避難所の様子。未曾有の災害にあった人々の声は胸に突き刺さった。今まで、困った時の駆け込み寺として寺院を見たことはなかったが、すがるもなが何もない人々に寄り添い、救いを差しのべるという仏教のありかたには賛同する。2012/04/03
ゆうゆう
2
畠山さんの写真が印象的。静かな悲しみをさそう。東京にいてもショックだったのだから、東北の方は、計り知れない。後年になれば歴史となるが、まだまだ今のこと。暖かいご飯を食べれる幸せ。お風呂に入れる幸せ。清潔な下着を身に着けられる当たり前。この幸せを噛みしめたい。万が一の時、自分の身辺をしばらく保てるぐらいの備え、何が必要か、を改めて考えたい。2013/12/18
ブブジ
0
宗教として東日本大震災とどう向き合うのか、難しい問題です。未曾有の天災にどう向き合うべきか無力感にとらわれた宗教家も多かったと思いますが、避難所運営に取り組んできた筆者の弟夫婦は、寺の基盤があったからと一言で片づけるには当てはまらないでしょう。檀家さんたちによる昔からの物質的な援助があったのは確かですが、それにも増して地域に密着した精神的な支えを築き上げてきたことが重要だったのだと思います。今回の件で、地域に根差し、信頼を厚くし、あのお寺さんがいれば大丈夫と思わせることが宗教の基本なのかもと思いました。2013/02/02
foxhanger
0
P97「食べ物の保存料ね、あれはしみじみありがたいものだと思ったよ……おれはずっと保存料が入ってるものをいやがってきたんだけど、震災でつくづくその価値が分かった。(笑)少しぐらい期限が過ぎていたって、パリパリの海苔を巻いたおにぎりが食べられるんだもの」2012/07/06
釈聴音
0
「すべての僧侶は『自分は被災地で何を語れるか、例えば親鸞聖人だったら何を語られるか』を考えるべきだ」という問いかけはあまりにも重い。今の私ではそれに答えることは出来ない。しかし、この問いは常に心の中に持っていなければならないだろう。2012/03/16
-
- 電子書籍
- ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。




