内容説明
織田信長が入洛し本願寺に矢銭五千貫を課した時から、本願寺と天下人との長い戦いが始まった。戦国最大の長期戦闘・石山合戦の真相、秀吉による強制移転、東西に分裂する内部抗争と家康の策略など50年にわたる民衆教団と戦国覇者の闘争の全貌を描き出す!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
田中峰和
4
半世紀のうち、10年は信長との合戦であった。大坂石山の地を追われ紀州鷺宮に退去した顕如は、その後も秀吉によって和泉の貝塚、大坂の天満、京都へと移転を繰り返した。当初は堺の会合衆が矢銭を拒否したのに対し、本願寺は素直に納入したがその後も続く無理難題に、ついに抵抗を始めた。本願寺と天下人との関係は、信長が餅をつき、それを秀吉がこね、家康が食べたという譬え。現実には信長が本願寺と戦い、秀吉が懐柔し、最後に家康が完全に統制下においたという50年の歴史が記録に残る。2021/05/18
スプリント
4
信長・秀吉・家康の本願寺への対応はまさに「ホトトギス」の例えどおりだと感じました。信長の時代にあれだけ猛威を振るっていた僧兵勢力を解体した秀吉の手腕はさすがですね。2014/06/27
めぐみこ
2
信長が本願寺と戦い、秀吉が懐柔し、家康が完全なる統制下におく。そんな天下人vs本願寺の戦国史ダイジェスト。本願寺の裕福さ、権力の強さがここまでとは。堺にも劣らぬ財力と海外交易を行う力と土地の利を持っていたなら、天下人たちが無視できないのも道理だ。信長とガチンコ勝負できたのは結束の強さだけではなかったと判った。元々親子げんかだったのが、豊臣方に味方する西本願寺vs徳川の保護を受ける東本願寺という構図に至るあたり、宗教戦争は怖ろしいものがある。2018/07/13
maito/まいと
2
知る人は知っている。信長の天下布武最大の障害は、信玄でも謙信でも毛利でもなかったことを・・・中世から近世への転換期の中で生まれた、権力と宗教との激突を描いた一冊。信長を最も長く苦しめた石山本願寺、その背景と経緯、そして秀吉・家康と権力者が移る中で、本願寺はどのように変わり、どのように近世を迎えたのかが解説されている。特に家康時、本願寺内のことが、権力者にお伺いを立てなければ決められなくなったという展開は、権力と宗教が結びついてしまったという、時代の移り変わりを感じさせる。2012/04/27
孤独な読書人
2
秀吉と家康が本願寺に対してどのような対策を打ったかが分かる。2012/03/08