内容説明
1924(大正13)年11月、最後の訪日を行なった中国独立の父と称される孫文は、神戸で“大アジア主義”を宣言した。当時、アジアのほとんどの国は欧米の植民地となっており、日本と中国が協力してアジアの国々を独立させねばならないということだ。大アジア主義を唱える日本人は、それ以前から少なからずいた。私は、アジア主義は正解だと現在でも考えている。それがなぜ大東亜共栄圏となり、大東亜戦争となったのか。大アジア主義から大東亜共栄圏への変遷、その経緯を明らかにするためには、昭和の戦争についてあらためて総括せねばならない。どうも私たち日本人には、連合軍が決めつけた“侵略戦争”というよりは敗れる戦争をしたことこそが致命的失敗という認識が希薄なようだ。そこで、いつどこでどのようにして失敗回路にはまってしまったのか、今後失敗を繰り返さないために、徹底的に洗い直してみることにしよう。(田原総一朗/本文より抜粋)
目次
第1部 東京裁判(致命的な失敗 侵略国のイデオローグ)
第2部 松井石根(大亜細亜協会 南京占領)
第3部 頭山満(攘夷から自由民権へ 「脱亜」か「興亜」か 孫文を救え アジア独立の志士たち)
第4部 大川周明(「天皇」を発見した社会主義者 北一輝との決裂 五・一五事件 対米工作の失敗)
第5部 北一輝(帝国主義と社会主義 国体論 中華民国元年 『日本改造法案大綱』 青年将校 二・二六事件)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
いろは
21
教科書のたった一、二行の舞台裏には、こんなに膨大な物語があるのを読みながら実感していた。それにしても、『敗戦で空襲がなくなった。本土決戦で死ぬ危険もなくなった。そればかりか、言論、表現が自由になった。国民が主権をもつことになり、基本的人権が尊重され、生活が豊かになり、何より戦後六十年、私たちの日本は一度も戦争に巻き込まれることもなかった。』とあるけれども、これがもし、逆に日本が大東亜戦争に勝っていたら、どうなっているのだろうと思う。北一輝、大川周明、頭山満、松井石根。東條英機の頭を叩いた大川周明が面白い。2018/10/08
うめけろ
5
欧米からの侵略を阻止するために、仕方なく第二次世界大戦へ突入するしかなかったのか、他の選択肢はなかったのか・・・という話かと思いきや、もっと前の満州事変からの日本の状況や歴史上にはほとんど登場しない、けれども重要な人物に焦点を当てた話でした。なるほど、だから「大東亜戦争」と謳っているワケですね。歴史をちゃんと勉強していないので僕にとっては難しかったですが、それにしても、田原さんの勉強量には恐れ入ります。2012/06/09
シゲジャガ
3
なぜ戦ったのですか???2014/07/23
パロリーヌ
2
普通にさくさく読めました。悪者とみられていた人たちを違う側面から見るというような感じです。日本と中国が互いに歩み寄っていれば大東亜戦争も違ったかんじになったのでしょうか。2013/07/07
マウンテンゴリラ
1
確かに本書で取り上げられている、松井石根、頭山満、大川周明、北一輝といった人物について、学校の歴史では、少なくとも重要人物として語られることはなかったと言えるだろう。私自身も、本書を読んではじめて、「大東亜戦争」に至るまでの東アジアの歴史に関わる彼らの重要性を認識することが出来た。それぞれの人物について、アンチファシズム、アンチ国家社会主義の教育を刷り込まれた我々の世代が、歴史的公平性をもって評価することはすでに困難であろう。→(2)2015/05/28