内容説明
大航海時代の国際貿易港・平戸で中国人海商と日本人女性の間に生まれた鄭成功。明の滅亡、西欧列強の進出、日本の鎖国化という激動の東アジアを舞台に、彼はいかに戦い、いかに生きたのか-。
目次
大航海時代
鄭芝龍
海を渡った少年
明朝の滅亡
反清復明
王国の夢
北征
南京城の攻防
台湾進攻
主要参考文献
鄭成功と平戸 石田康臣
長崎ゆかりの文学における鄭成功 中島恵美子
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ようはん
17
鄭成功が英雄である事は間違いないけど、失敗した部下に激怒して処刑する事が何度かあったりと性格的には癇癪持ちな傾向で個人的にはあまり上役には持ちたくはないタイプと感じた。2022/05/12
月をみるもの
10
ほんまかいや。。「幕府は 、昨年の暮れからはじまった隆武帝と鄭芝龍からの救援要請──いわゆる 「日本乞師 」に対して 、水戸 、尾張 、紀伊の御三家とも協議を重ね 、当面出兵要請には応じないとの結論に達していたが 、将軍 ・家光自身しばしば出兵に意欲的な意向を漏らし 、御三家をはじめ幕臣 、諸大名のなかにも出兵論がくすぶりつづけていた 。京都所司代の板倉重宗や九州柳川藩の立花忠茂など 、本気で出兵計画を進める強硬派もいた 。」2019/12/30
茶幸才斎
5
江戸初期。明朝末期。大航海時代。アジアでの海外貿易と海賊行為で名を馳せた鄭芝龍が平戸に渡来し、松浦家家臣の娘、マツを娶り授かった子が、後の国姓爺・鄭成功である。彼は7歳のとき中国に渡り勉学に励むが、北の満州・女真族(清軍)の侵攻により明朝政府は瓦解。後にやっと再開できた母も清軍に殺される。このときから鄭成功は、清を討ち明王朝を再興するための戦いに、残りの全生涯を費やすことになる。太く短く激しく燃え、そして志半ばで燃え尽きたその人生を、余人は救国の英雄と称えもするが、果たして彼自身は本望であったのかどうか。2017/03/30
れうしあ
2
ポルトガルやオランダが台頭する中、東シナ海で名を馳せた海賊が鄭芝龍であった。彼は平戸を根拠地とし、その地で生まれた子が鄭成功である。その後父が福州へ帰ると彼も海を渡る。彼が南京で遊学していた頃、明が滅亡し清は南京まで制圧する。鄭成功は隆武帝に敬愛され反清復明のため忠誠を誓う。隆武帝死後、清に捕えられた父は家の存続を願ったが、彼は新王国の樹立を目論んだ。一進一退の攻防が続く中、一度は南京城を包囲するも敗れ、台湾を新たな根拠地とする。その後鄭氏政権は20年の時を経て投降するが、開山王として今も祀られている。2020/04/18