内容説明
1995年より前と後では何が変わったのか。
『エヴァンゲリオン』のインパクトを受け止め、オタク文化の変化を論じ抜く。
セカイ系とは、『新世紀エヴァンゲリオン』以後を指し示す言葉に他ならない。アニメ、ゲーム、ライトノベル、批評などなど――日本のサブカルチャーを中心に大きな影響を与えたキーワード「セカイ系」を読み解き、ポスト『エヴァ』の時代=ゼロ年代のオタク史を論じる一冊。
目次
序章 セカイ系という亡霊(セカイ系とは何か? 曖昧なその定義 ほか)
第1章 セカイの中心でアイを叫んだけもの―1995年‐99年(セカイ系=エヴァっぽい作品 メガヒットアニメとしての『新世紀エヴァンゲリオン』 ほか)
第2章 セカイっていう言葉がある―2000‐03年(オタク文化の自問自答の軌跡 萌えと美少女ゲームのゼロ年代―『ToHeart』 ほか)
第3章 セカイはガラクタのなかに横たわる―2004‐06年(セカイ系の定義の変化 ライトノベル・ブームとセカイ系 ほか)
第4章 セカイが終わり、物語の終わりが始まった?―2007‐09年(セカイ系の終わりと再興 宇野常寛の登場―『ゼロ年代の想像力』によるセカイ系の復活 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
k5
57
ちょっと散漫な印象はありました。「セカイ系」という術語の、時系列による使用分析を目指したように思われるんですが、ときおり自論も入るので、それをもう少し深掘りしてもよかったのではないかと。「エヴァっぽくて文学的な何か」、と言われても興味が湧かず、むしろ「自己言及性の文学」というあたりに魅力を感じたのですが、わりとあっさりその節終わるし。こういう「ゼロ年代」に言及した本が10年前にはあったのに比して、最近は「平成」の方が主流みたいですが、そもそも前ディケイドのまとめ本ってそろそろでてこないかな。2020/06/28
SOHSA
31
《購入本》自己問題に世界の問題が接着している世界観の中で展開する物語、或いはオタク文学というある種の閉じられた分野が拡散して一般化する空間の拡がりを指しているのか。いずれにせよ自己言及と世界認識の関係性を読み解く上でセカイ系は興味深いキイワードとなっている。また、エヴァという作品自体よりもエヴァ以降の変化を論じることで、おそらくは著者の思惑とは別にゼロ年代の一面を読み手にわかりやすく提示する結果となっている。セカイ系は既に終焉を迎えたと述べられてはいるが、その核は形を変えて今そこここに潜んでいる。(→)2014/12/14
サイバーパンツ
19
セカイ系はまず「エヴァっぽい自意識の物語」として生まれる。しかし、2004年以降、セカイ系の中核を担っていたエヴァっぽさは抜け落ち、「社会のない舞台で、きみとぼくの恋愛が世界の運命に直結する物語」という新たな姿へと変化していく。そして、現在のオタク文化は、セカイ系から日常系へ、物語からコミュニケーションへと変化してきている。このような時代において、セカイ系はどうなっていくのか?著者はこのことについて、新たに生まれる自意識の問いかけを内包した作品が今後ムーブメントになると予測している。2016/05/01
usanosuke
12
ゼロ年代のオタク史を「セカイ系」から読み解いた本。たいへん興味深く、面白かった。すべては「エヴァンゲリオン」がもたらしたパラダイムシフトから始まる。このアニメは、前半における「人類補完計画」などの謎のキーワードはそっちのけに、後半、主人公が自問自答する自意識の物語に転換してしまう。この事がオタクたちの作品受容態度を変えてしまったと著者は指摘する。エヴァ以後、この自意識部分を受け継いだ作品が、続々と登場するのだが、美少女ゲームやライトノベルのブームで「萌え」の要素が加わり、東浩紀氏らの批評に(続く)⇒2012/09/17
メルキド出版
10
セカイ系の定義をウェブサイト管理人ぷるにえのまとめ記事(2002)まで遡ることで、エヴァ最終2話の自己言及性に求めた。『機動戦士ガンダム』や『ビックリマンチョコ』の物語消費(設定厨)および『美少女ゲームの臨界点』の「中間項の欠如」などのセカイ系解釈から原点回帰を促す。東・宇野論争の交通整理は見事。が、細部の修正に留まり、決定的なカウンターにはなっていない。最終節でオタク文化のコミュニケーションツールが思春期を迎える未来が語られる。そのときセカイ系の自意識は再来するのか。「感傷マゾ」はもしかしたら……2022/11/18
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