内容説明
現代に生きる「大人」たちの多くが感じている不安の実態とは、一体何なのか。
成熟と老いと死、労働の意義、他人との付き合い、恋愛、家族、若年および中高年期のアイデンティティ・クライシス、先端文明との関係、法制度と責任など、我々が直面している問題のひとつひとつを、小浜逸郎が等身大の視点で再検証する。
昨年12月に発行した『子供問題』の対となる一冊。
目次
1章 普通に生きる1―成熟・諦念・死(父と私;死は生の条件である ほか)
2章 普通に生きる2―労働・善・愛情(人はなぜ働くのか;働く意義と善との関係について ほか)
3章 人生という壁―老い・孤独・自殺(中高年男性の正念場;アンチ・アンチエイジング ほか)
4章 社会という壁―時代・規範・情報(商店街は変わらない;人口減少社会は困った社会か ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
阿部義彦
15
「男はどこにいるのか」などの著作のある批評家、小浜逸郎さんのエッセイ。私にとっても切実な日本の大人の内実に関する評論集。成熟、諦念、老い、孤独、死、面白かったのは、ある団地に40から60歳代の失職し妻や子供にも逃げられてしまった、「遺棄」された男性群が住み着き、これらを何とかしようと孤独死予防に働いてるスタッフの年齢が当の男性群より高く70代以上だという事。また女性の見限り意識は、女性の本質的な強さ、したたかさを表している。彼女たちは夫と同居してもしてなくとも何かを糧に逞しく生きていけるのだ。2017/03/20
愛奈 穂佳(あいだ ほのか)
2
【ココロの琴線に触れたコトバ】私が説きたかったのは、特定の儀礼的行為の「大切さ」ではなく、その行為が象徴的に表現している人間論的な「意味」についてである。どんなに儀礼的行為を簡素に切りつめたり放棄したりしても、人は、何らかの「挨拶」的行動から自由になることは不可能である。なぜなら、対人関係を抜き去った「私」とは、ただ頭の中でつくられただけの空虚な観念にすぎないからだ。2015/07/22