内容説明
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百人一首に秀歌はない――かるた遊びを通して日本人に最も親しまれる「小倉百人一首」(藤原定家・撰)にあえて挑戦、前衛歌人にして“現代の定家”とも称されたアンソロジスト塚本邦雄が選び抜き、自由奔放な散文詞と鋭い評釈を対置した秀歌百。『定家百首』『百句燦燦』と並び塚本美学の中核であると同時に、日本の言葉の「さはやかさ」「あてやかさ」を現代に蘇らせんとする至情があふれる魂魄の詞華集である。
目次
月やあらぬ春や昔の春ならぬ(在原業平)
盃に春のなみだをそそぎける(式子内親王)
春は花散るや千種におもへども(藤原義孝)
うすく濃き野邊のみどりの若草に(宮内卿)
見渡せば山もと霞む水無瀬川(後鳥羽院)
淺みどり花もひとつに霞みつつ(菅原孝標女)
はかなさをほかにもいはじさくらばな(藤原實定)
知るらめや霞の空をながめつつ(中務)
たづねつる花もわが身もおとろへて(良暹法師)
春といへばなべてかすみやわたるらむ(小侍從)〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
302
「百人一首に秀歌はない」という塚本邦雄が王朝期(八代集の時期)の秀歌百首を再編集したもの。業平、貫之、定家、良經、式子内親王、實朝(塚本邦雄のいう王朝六歌仙)は各2首、それ以外の歌人は1首を選歌。塚本は解説などいらぬと言うが、実作者でもあり、碩学でもある塚本の解説も読み応え十分。ただ虚心に歌だけを鑑賞すべきか、あるいは作者を知って歌に心を投入すべきか、時に迷う。例えば鎌倉三代将軍、源實朝のこんな歌「儚くてこよひ明けなば行く年の思ひ出もなき春にや逢はなむ」。28歳で横死する彼の「思ひ出もなき春」にはただ涙。2017/07/01
しゅてふぁん
48
塚本氏の‘和歌’と‘ことば’に対する凄まじい執念を感じた一冊。訳詩が歌の訳としてしっくりくるかどうかは別として…。解説を読んでいても塚本氏の並々ならぬ思いを感じて、肝心の歌に集中できないという(^^;)迸りすぎだよー(笑)定家の百人一首に対して自身の考えをゆるぎなく言い切っているのが読んでいて気持ちがいい。解説文の言葉が美しく、まるで詩を読んでいるようだったな。著作を読むのは初めてで、他の本もとても気になる。一冊読み切るのには体力が必要だけど、また読んでみたい。2019/03/16
かふ
22
藤原定家『百人一首』を批評しながら、結局『百人一首』の本歌取りのような本になってしまった。藤原定家に対する批評は塚本邦雄にも当てはまっていくわけで、彼の権威性を誰も問えなかった不幸があるのではないか?それは塚本邦雄が言う美の世界が彼岸(死)の中にしかなく、そのことが今を生きている我々にどう関係してくるのかと思った。その構造というのが四季分けで、六歌仙を選定し、『古今集』に倣った『新古今集』讃歌であり、その特徴である儚さや雅さがすでに無きもの(死)であるという美に他ならない。そこに届かない思いなのだろうか?2024/07/16
syota
19
「百人一首に秀歌はない」と言い切る著者が、平安から鎌倉初期の傑作百首を選び、解説を付している。「現代人の目で選び、鑑賞した」とあるとおり、小倉百人一首よりはるかに納得のいく名歌が並んでいる。例えば、巻頭を飾る在原業平の「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」にしても、百人一首に採られた「千早ぶる神代も聞かず龍田川…」の大げさな描写とは比較にならないほど心に沁みる。旧字旧仮名で書かれた解説も端正かつ流麗な名文で、美しい日本語を存分に味わうことができた。2020/04/17
LUNE MER
12
一言で言うならば「塚本版百人一首」。マイベスト100を選べるほど知っている歌のストックがないので、和歌についての造詣が深い人って、素人玄人関係なく、それだけで尊敬に値する。