内容説明
帰る家を探し続ける智子、駆け抜ける俊敏な馬を見落としてしまう陽平、午後4時の只中に立ち尽くす詩子、電気椅子に座り死刑執行を待つ滝也。『灰の水曜日』のまま静止した世界、生きていく中で感じる差異。男女四人が憂い哀しむ心情を抱きながら大きく、そしてゆっくりと交錯していく。中原中也賞等数多くの受賞歴を持つ詩人が美しい文体を用いて描く純文学。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
tomo*tin
22
薄い膜が常にある。破れそうで破れない。おかげでうまく交わることができない。世界との差異、他者との差異、膜はその境界を見せつける。感情や感覚は曖昧で、けれどその曖昧なものに依存することで彼らは息をする。形あるものは融合しない、ならば形ないものならばどうか。隙間なく埋め尽くされ重なり合うことは可能か。可能だとして、それを願うことは罪か。粉砕された骨が砂の様に降る中、私は正しいことと正しくないことの差異について思いを馳せる。著者の書く言葉は世界に真摯だ。とても美しく、とても好き。2009/07/03
Roy
20
★★★★★ 人は「差異」を敏感に捕獲し蓄える。この小説では四人の男女の「差異」による内省が、スクランブル交叉点を歩く人間の如く同時に、肩をぶつからせながら描かれている。貴方又はあの人と私、記憶と現在、真意と意図。一つ言えるのはそこには私が常在し、私による価値基準で、私が持つ判断材料で「差異」と下し距離を置くのである。私が私であるが故に感じてしまう「差異」であれば私でなければ良い、と前に読んだ著者の詩集で、もや掛かる違和感があったのだが、今回は受容があり感じなかった。独自の美しい言葉が置かれている。2009/06/27
RYOyan
12
わぁー!なんだかよくわからんけど、研ぎ澄まされた文章で心に迫ってくるものがある。言葉の断片断片にハッとしてしまうのだ。きっとそれは目を背けたくなるような正直な感情と向き合っているからだ。詩も読んでみよう。2016/10/04
空崎紅茶美術館
6
「家」へ帰りたいと望む四人の人物がそれぞれ交錯しながら、「わたし」という不安な存在のままゆらいでいく表題作。彼らの望む「家」などどこにもない。「家」とは、自分のいるべき「居場所」であり、外から逃げ帰るための「居場所」でもあるが、本当はそんなものはこの世のどこにもなく、ただ「帰りたい」と願う思いだけがある。そして、それを真に叶えたいのなら、肉体を失った無垢なままの骨の姿でなければならない。「ただしさ」を求めるなら、この小説には「ただしい」読み方がない。2011/09/06
桜井晴也
5
「詩人と名乗るにんげんは絶望を描きながらも、あまり絶望を知らないのだと思う。でなければ絶望なんて書けるはずがない。」2009/06/21