内容説明
内村鑑三により「代表的日本人」の一人として海外にも紹介された上杉鷹山。彼ほどイメージが先行している歴史的人物もいないだろう。生前から理想の名君として褒め称えられ、戦前は修身の教科書で子供たちの模範と教えられ、米沢では上杉謙信と並んで神社の祭神にまでなった。それは、凡人に真似できないようなカリスマ性や特別な才能ゆえではなく、真摯に生き仕事に取り組んだ結果であるが、これまでの偉人伝等では子供の時から卓越していた人物であるかのように書かれている。これでは、鷹山の真実の姿がどこかへ消えてしまうのも致し方ない。地方の首長へのアンケートで「理想のリーダー 第一位」に選ばれ、今もなお尊敬され続ける上杉鷹山。本書では、「竹は竪に割るべし。横に割るべからず」と説く合理主義者でもあった稀代の政治家・経営者の実像を「小説的伝記」という試みで、余すところなく描き出す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しぇるぱ
1
上杉鷹山が亡くなるころには、藩の借財を完済し、逆に蓄積ができるほどまで変身しております。それはどのような手法で?読んでも訳が判らない、倹約を重ね、新田を開発し、産物を専売にしたり、自由販売にしたり、手を尽くしてがんばった、としかわからない。こういう状態は、読んでいても面白くない。何をしたので上杉鷹山は名君となったのか、決め手がみつからないまま読み終えました。2010/02/16
山田
0
上杉鷹山は出羽国米沢藩9代藩主。山内上杉家25代当主。「鷹山」は藩主隠居後の号。「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」「してみせて、言って聞かせて、させてみる」の名言や、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が、「最も尊敬する日本の政治家」を問われた際にその名を挙げたことで知られる。鷹山は、日向国高鍋藩に生まれ、出羽国米沢藩の養子となった。高鍋藩の江戸藩邸(麻布)から米沢藩の江戸藩邸(外桜田御堀通り(現在の法務省敷地内))に転居。初めて藩に行ったのは16歳で家督を継いだときだった。2024/09/20