内容説明
外部からおそいかかる時代の狂気、あるいは、自分の内部から暗い過去との血のつながりにおいて、自分ひとりの存在に根ざしてあらわれてくる狂気にとらわれながら、核時代を生き延びる人間の絶望感とそこからの解放の道を、豊かな詩的感覚と想像力で構築する。『万延元年のフットボール』から『洪水はわが魂に及び』への橋わたしをなす、ひとつながりの充実した作品群である。
目次
第1部 なぜ詩でなく小説を書くか、というプロローグと四つの詩のごときもの
第2部 ぼく自身の詩のごときものを核とする三つの短篇(走れ、走りつづけよ 核時代の森の隠遁者 生け贄男は必要か)
第3部 オーデンとブレイクの詩を核とする二つの中篇(狩猟で暮したわれらの先祖 父よ、あなたはどこへ行くのか?)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
293
本書は『万延元年のフットボール』('67年)の後、'69年に書かれた。大江の作品群の中では過渡的な時期であるが、同時に転換点であったと見ることもできる。すなわち「偽自伝」のスタイルを取る小説作法の始まりである。プルーストが「書く」ことによって、自らの「失われた時」を生き直したように。もっとも、ここではまだ自身の経験の核を想像力を拡げることで物語化する、というものであったが。やがて、自身の体験、父祖、そして幼少年期を過ごした集落の歴史までをも巻き込んで、それが何度も何度も語り直されていくことになるのである。2015/09/20
遥かなる想い
228
大江健三郎 昭和44年の作品。 狂った父と白痴の息子を持つ 肥った男を描く。大江健三郎の著書には、 時々 読者の理解を拒むような靭さを 感じることがあるが、 本書は著者らしい風景で 父と子を描こうと いう意図が感じられる..それにしても 肥った男の奇異性は著者らしい。 勝手に私事との兼ね合いを推してしまう、 そんなお話だった。 2016/08/21
まふ
94
大江氏追悼の読書。「狂気」という観点から5編の中・短編を纏めた作品。様々な「狂気」が登場しそれぞれが迫力をもって読者に迫る。森の民的自覚、家系的怨念、身体的・精神的欠損、人間の動物的生存の限界的許容範囲などのテーマを抉り分解し分厚く饒舌に語りつける。著者の創造する人物像はどれも非日常的であり、それをある意味で淡々と、しかしクソ真面目に語るその語り口は、著者が真面目になればなるほど滑稽味を増すように思われて思わず「微苦笑」する。G1000。2023/03/18
おたま
86
以前何回かチャレンジしているが、これまでは最後まで読み切ることはできなかった。今回は少し時間をかけて読んでみて、なんとか自分なりに読み取れたのではないかと思う。最初の短編三作は、大江健三郎自身が書いた「詩のごときもの」を核とした作品。それぞれに「狂気」が描かれる。establishmentの階梯を昇る途中にそこから逸脱し転落した者を描いた『走れ、走りつづけよ』。『万延元年のフットボール』に直接つながっている、森の隠遁者ギーが登場し、森の力と同一化することを願う『核時代の森の隠遁者』。⇒2025/05/28
Shintaro
86
大江健三郎初読み。拗れた村上春樹のような作風と言ったら言い過ぎか。僕のようなエンタメ読みを遠ざける作風でもある。しかしその狂気の一部は感じられた。核兵器の存在を見て見ぬふりをして生きることこそ、相互確証破壊(MAD)マッドなのだと。もう一つは発達障害の息子と暮らしながら、理想の父親と現実のギャップにのたうち回る大江自身。でも僕は大江でさえも想定してなかった読み方をしてしまった。それは僕らに等しく迫りくる認知症である。認知症下で読書はできるのか。その前に徘徊や粗相をしそうである。ピンピンコロリといきたい。2018/01/14
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