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内容説明
難解な思想・哲学書の翻訳に手を出して、とても理解できないと感じ、己の無知を恥じ入る。読者をそのように仕向ける背後には、日本の近代化における深刻な問題が控えているのである。カント、ヘーゲル、マルクスの翻訳の系譜とそこに反映された制度的拘束をあぶり出し、日本の学問と翻訳の可能性を問う。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mitei
68
確かに昔の洋書の訳はわけわからない訳が多い印象が強い。2013/05/26
奥澤啓
39
明治以降の翻訳語の成立に興味が強く、図書館で本書を見つけて精読した。哲学や社会学等の翻訳書を読んで、言葉の難解さに閉口して投げだした人は多いと思う。その難解さはどこからくるのか。それは実は日本の近代化過程に、大きな問題がひそんでいるのだと筆者は説く。ドイツの近代化と教養理念の成立と日本への移入、マルクス、ヘーゲル、カント等を読むという旧制高校的な教養、ジャーナリズムとアカデミズムとの乖離等を歴史軸を解説しながら翻訳との相関関係を説いていく。「あとがき」から読むことをおすすめする。いい問題提起になっている。2014/12/19
猫丸
13
当然ながら翻訳は後発が有利である。原典に加えて先駆者の業績を参照できるわけだから。何度も訳されている古典の場合、つねに新訳が最高品質でなくてはならない。ところがそうでもない、ということに筆者は気づく。「資本論」については初期の翻訳のほうが読みやすく、権威あるとされている岩波版の日本語は壊滅的に奇怪なのだ。それは結局、明治維新以降国家を支えることを期待された学歴エリートの歪んだ精神を原因とする、とまとめられる。狭いアカデミズム内での評価ばかり気にすると「読んでもらう」商品としての視点は欠落するわけだ。2022/11/24
Yasuhiko Ito
6
ドイツ哲学の日本語翻訳がわかりにくいのは、原文を聖典のように神聖視して、文型をできる限り維持して逐語訳していることにある。これは自由度の高い日本語だから芸当であって、逆に日本語の文章をドイツ語に逐語訳することは不可能だ。著者が言うように、カントが書いた文章自体は、彼の頭の中にあるアイディアから、様々な言い換えができる中で、たまたま出てきたものだ。日本語への翻訳だって、元のアイディアを損なわない程度に自由にやっていいはず。本書は翻訳への問題提起だけでなく、哲学入門的な要素もあるので、ぜひ読んで見てください。2018/10/20
ソラヲ
5
「なぜ哲学や思想関係の翻訳書はこうも読みにくいのだろうか」。翻訳書を手にとったことがある人なら誰もが抱えたことのある問いからこの本は始まる。実際の翻訳例が提示されることで、原文に忠実に訳そうとするあまり読者を尊重しない翻訳はもちろんのこと、分かりやすくしようとするあまり著者の意図から大きく外れる翻訳もNGだというのがよく分かる。輸入学問と翻訳文化の歴史的背景を追うため、日本史や世界史、政治思想からカント哲学の具体的な内容まで切り込んでくるのでなかなか読み応えがあった。ドイツ語翻訳論としてもオススメの一冊。2014/12/15