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内容説明
ピカソ、モディリアニ、マチス…世界中の画家が集まる1920年代のパリ。その中心には日本人・藤田嗣治の姿があった。作品は喝采を浴び、時代の寵児となるフジタ。だが、日本での評価は異なっていた。世界と日本の間で、歴史の荒波の中で苦悩する巨匠の真実。第34回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。(講談社文庫)
目次
第1章 修行時代(名門の子 東京美術学校 ほか)
第2章 パリの寵児(狂乱の時代 絶賛された裸婦像 ほか)
第3章 皇国の画家(数奇な運命の絵画 十七年ぶりの帰国 ほか)
第4章 さらば日本(GHQからの使者 不毛な論争 ほか)
第5章 「美の国」へ(ニューヨーク 寂寥のパリ ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
449
藤田嗣治は、最近になってようやく日本でも評価が飛躍的に高まってきたが、不当にも長らく不遇であった。私も藤田がこれほどにフランスで評価されていたとは知らなかった。エコル・ド・パリの周縁の画家くらいにしか考えていなかったのである。一昨年、藤田の絵をかなり集めた展覧会があったが、あらためて彼こそが牽引車であったのではなかったかと思う。それにしても1920年代のパリはあまりにも特別である。ピカソにマチスにモディリアニ。綺羅星のごとく才能が犇めいていた。そうした中で藤田は燦然と輝いていたのである。2020/03/16
遥かなる想い
110
第34回(2003年)大宅壮一ノンフィクション賞。パリでは今も最も有名な日本人画家藤田嗣治の評伝である。パリを舞台に 著名な芸術家たちとの交流は 絢爛豪華で 眩しい。藤田嗣治の人生に落とした 戦争の影…日本に受け入れられなかった 天才画家の無念が伝わる…そんな評伝だった。2022/10/28
rico
83
改めて認識させられた。藤田は「日本人」枠ではなく、真に世界で評価された数少ない芸術家の一人なのだと。エコール・ド・パリで活躍の後帰国するも、戦争画を描いた責を負わされ再び海外へ。フランスに帰化しキリスト教徒として生涯を終えた。若き日のエキセントリックな行動とは裏腹に日本へ強い想いを持ちつつ裏切られ続け、最後は自らそれを断ち切った、のだろうか。乳白色の美女、愛らしい猫、凄絶な戦場の光景、子どもたちの眼差し、黙示録。本書で少しだけ詳しく知った彼の人生。また作品を見に行こう。きっと違う表情を見せてくれるはず。2025/05/09
財布にジャック
65
モンマルトルやモンパルナスに集った芸術家の話には目が無いので、今までにも沢山の芸術家の生涯が描かれた本を手に取りましたが、藤田さんの生涯は全く知らなかったので、夢中になりました。藤田さんはフランスで成功した画家というイメージなので、実際にはこんな不遇だったなんて意外でした。日本からのバッシングによって苦しむ姿が痛々しくて、読むのが辛かったです。それなのに、最後の人形のくだりは反則です。フランスに帰化しても、やっぱり日本を愛していたのだと思うと泣けてきます。そして藤田さんの頑張りに拍手を贈りたいです。2013/03/19
i-miya
47
2010.10.07 (近藤史人)1956、愛媛生まれ。東京大学文学部独文科卒。NHKディレクターとして入局。(あとがき) 藤田君江さん、92歳。証言の記録、5年になる。死後34年。夏堀昇さん『藤田嗣治論』に命をかけた。(年譜) 1886.11.27、牛込で生まれる。1888、熊本池田町へ。1913.08、パリ着。ピカソ、モディリアニら知り合う。1912、鴇田登美子と結婚。1917、フェルナンド・バレエと結婚。1918、モディリアニらと南仏カーニュへ旅行、ルノアールのアトリエ訪れる。2010/10/07