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内容説明
人はいかにすれば救われるか。法然と明恵――鎌倉新旧仏教を代表する両者の思想対決は、私たちを根源的な問いへと誘う。現実か理想か。他力か自力か。そして、生と死の究極の姿とは。最新の宗教学の成果を踏まえ、2人の対決の彼方に宗教のアクチュアルな「力」の再生の可能性を探る、宗教のポストモダン。(講談社選書メチエ)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
yutaro13
19
明恵についてはあまり知らなかったが、数年前に鳥獣戯画展で展示されていた「明恵上人樹上座禅像」の人だったのですね。本書は法然を「死の座標軸」、明恵を「生の座標軸」を体現する存在として描写することで、両者の思想の違いを浮き彫りにする。仏陀に帰れと説く明恵は、法然を「三世仏家の大怨敵、一切衆生の悪知識」と批判するのだから手厳しい。鎌倉新仏教は当時の状況に応じて仏教を単純化したが、著者は現代において仏教が復活するとすれば、再び統合型仏教へ回帰することにあるのではないかと説く。なるほどそういう捉え方もあるか。2020/07/12
中年サラリーマン
11
世は鎌倉。これまでの秩序がなんとなく通じなくなりそう。そこで生まれたのが宗教新時代!なんとなく幕末から明治を彷彿させるなぁ。エキセントリックに新時代の宗教はこれだ!と突き進む法然と、中国より伝わりし伝統的仏教を継承し守ろうとする明恵を描いた本。二人とも生い立ちは貧乏武士であるにも関わらず道は異なった。それを当時の時代の空気とともに描いた本です。2013/11/09
きさらぎ
6
「ただ弥陀を信じ臨終往生を願った法然の来世主義」と、「日々己れを律し、一歩でも釈迦に近づこうとした明恵の現世主義」。幼くして孤児となり縁を辿って寺に入った点は同じだが、一方は権勢を誇り権力欲渦巻く比叡山へ、一方は比較的そこから離れた場所にあった神護寺へ入ったこと。俗気まみれの比叡山を下りた18歳の法然は京の町の凄まじい荒廃を目の当たりにしたが、40歳年少の明恵が生まれた頃には世情も少し落ち着き、裏山へこもり紀伊へ隠れ、ひたすら修行に打ち込めたこと。とにかく対照がくっきりしていて非常にイメージが湧きやすい。2017/02/13
rbyawa
1
g103、一度呼ばれなくなっていたという「鎌倉新仏教」の最初の一人である法然と(結構な騒動は起こっているものの、当人には直接批判が向けられていたわけではなかったのね)、高僧であることは知っているものの特に批判者であるという印象のないほぼ一世代ほど離れた同時代の二人の対比の本で、んー、違いの話というよりは時代のズレによる変化と類似点を語っていたという体裁かなあ。どちらかというとその時代の仏教そのものを感じ取るのに良かったような気も。要するにこの二人の当時の影響の本かな、思想部分がわかりやすくて助かりました。2016/11/01
非実在の構想
0
死に救いを求めた法然と生を全肯定した明恵の思想をその時代背景を含め説き起こし比較した良著。現代仏教が死に体となっているのは鎌倉新仏教の選択に起因しており、仏教はその豊潤な総合性を取り戻さなければならないという主張にはかなり同意する。2017/09/13