内容説明
精神科医ヴィクトール・フランクルが、ナチス・ドイツの強制収容所に囚われたみずからの体験をつづり、極限状況におかれた人間の尊厳の姿を余すところなく描いた『夜と霧』。世紀をこえ、世代をこえて、読み返され、読みつがれています。霜山徳爾訳は、終戦から11年めだった1956年夏の初版以来、日本でながく読みつがれてきています。当時、ホロコースト(ショアー)やアウシュヴィッツのことはまだよく知られていませんでしたので、ドイツ語版にはない解説や写真資料を日本で独自に加えて編集されました。(写真資料は、電子書籍版では、割愛いたしております。)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
風眠
253
善も悪も、ひとりの人間の中にある。環境によって人は、勘違いし、調子にのり、求めるままに暴走する。人を愛し、抱きしめるその手も、人を貶め、これ以上ない残酷さで殺すその手も、同じ人間の手なのだ。戦争というものの本当の恐ろしさは、人間のモラルを奪い、頭をおかしくさせるところにあるのだと、強く、強く思った。あまりにも極限過ぎて、人としての感情を失ってしまう場所、それが強制収容所なのだ。それは理不尽に収容された人達も、収容する側にいた人間も、同じだ。苦しい、ただただ苦しい、けれどこの本を読んでよかったと心から思う。2018/04/10
優希
184
過酷な状況に置かれつつも人が生きようとする力に押しつぶされそうになりました。極限悪とも言えるアウシュビッツ強制収容所では人間の感情全てが否定される。下手したら狂気に陥ってもおかしくない環境に投げ込まれても失わない生への意志は、人間の尊厳と精神を奪うことができないということの証明だと思いました。歴史的な出来事としては知っていたものの、実際の様子を知り、鳥肌が立ったのも事実です。このような出来事は繰り返されてはいけない、そう強く感じました。2017/01/23
新地学@児童書病発動中
161
ナチスの残虐な所業が詳細に書かれているので、読み進めるのが辛いときがあった。それでも読んで良かった思う。学術論文風のフランクルの記述の行間から、人間的な熱い想いが噴き上がってくることに心を打たれた。人生に何かを期待するのでなく、人生が自分に何を期待しているか見極めること。このコペルニクス的な転回は想像を絶する収容所での体験によって贖われたものだろう。人間の価値は、地位や金銭、頭脳などでは決まらず、苦しみに耐えて生きていくことで決まるのだと言うことを、本書は教えてくれると思う。2014/12/01
Gotoran
150
冒頭の解説には、アウシュビッツ、ベルゼン他の強制収容所でのナチスドイツの卑劣で非人道的な扱いの記述、戦争という極限状態での人間のエゴ、残忍さが強烈に伝わってくる。また、巻末の写真と図版が、より一層、その悲惨さを印象付ける。それに反し、本文では、極限状態にあるにも拘らず、著者の精神医学者、臨床家としての冷静な眼で洞察された崇高な人間の善なる本質の記録が綴られている。そこには、ロゴセラピー(意志の自由、意味の意志、人生の意味)の正当性が強制収容所体験を通して実証されている。生きる意味とは! 2011/08/21
ユー
124
巻末の写真が、かなり、リアル。内容は、ちょっと哲学的。2013/01/20