感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
小鈴
21
酒巻和男弁。「昭和二十二年にトヨタ自動車へ入社しましたが、工場の入口には『賠償指定管理工場』の門札がかかっており、中国へ移転させられるかもしれないと噂されて動揺していました。だから私のようなものでも入社できたのでしょうが。」191。 これは初耳で驚きました!サンフランシスコ講話条約で戦勝国である中国も賠償を手放したから、トヨタ自動車も残ったわけですよね。。。その他にも自動車産業に関わる興味深い話はコメント欄へ。2021/12/27
小鈴
18
俘虜記の読みどころは真珠湾攻撃の手に汗握る様子(なんとジャイロが壊れての出陣!、資料には各潜水艦の攻撃概略図)、アメリカ国内の収容所の様子、戦争が進むにつれて捕虜が増える様子(上官と下官の対立、気の狂う仲間の様子。。。)。捕虜の心情とその変化の過程の分析は今でも通じるものがあるのではないでしょうか。捕虜は3つに分かれる。市によって捕虜の恥辱から逃避しようと思う者、迂闊な死を避けて将来できれば妻子の元へ帰りたい者、生と死の問題に飽きてニヒリズムに陥り勝手に動く者。最後の者が周りに混乱を与える困り者とのこと。2021/12/27
小鈴
16
開戦八十周年記念として真珠湾攻撃隊十勇士の「史跡」を建立クラウンドファンディングの寄付品として発行された本。一般にも販売している。酒巻和男ら真珠湾攻撃の潜水艦攻撃した五挺(二人乗り)の唯一の生き残りで日本人捕虜第一号となった人物。亡くなった九人は軍神として祀られたが、酒巻和男の存在は隠された。尚、米軍は捕虜として日本に連絡をしていた。酒巻和男は昭和22年、24年に2冊の本を俘虜記を発行している。入手困難な本を、現代語訳に訳し、酒巻和男の資料を記載した貴重な本。立体的に酒巻和男を知ることができた。 2021/12/27
小鈴
15
なんと昭和20年に12月8日(開戦日!)にプリズンから港の帰国船へ移動、翌年1月に日本に到着。職業軍人のため戦後の仕事が気にかかる酒巻。米兵には船乗りなればいいと言われるが、海の仕事は戦争を思い出すのでムリだと思っていた。実家に戻り静かな生活を送る。温かい家族。同期で同じ捕虜としてプリズンで一緒に過ごした豊田譲が中日新聞の記者となり、口外しない約束で話した真珠湾攻撃で捕虜となった話をすると、勝手に記事として載せられて注目を浴びる。酒巻和男は信義にもとると怒る。激励の手紙とともに割腹せよと非難もされた。2021/12/27
小鈴
12
しつこくてすみません。自分用にメモです。丸の内木曜会講演会(昭和61年11月)で貴重な話をしている。書籍ではハワイ収容所の話については触れてない酒巻和男であったが、この講話会の発言は貴重だ。「帰国は昭和21年1月ですが、或る日、私は呼出しを受けて、極東軍事裁判に出ました。被告ではなく弁護側証人としてです。連合軍の捕虜を虐待したということで、日本の捕虜収容所の所長や関係官が、戦犯被告として裁判にかけられていました。検察側が一方的に日本は悪いというが、アメリカにだってこんな事があるという弁護証言をするという→2021/12/29