内容説明
「わたしの映画館」は、映画を見た一人ひとりによって書かれるべきものだし、また秘かに書かれてもいると思う。もとより著者は多くの人たちの共感を期待してはいるけれども、本書もまた、つまるところは、「わたしの映画館」に過ぎない。ここにあるのは、一九八五年一月十二日・土曜日の夜から、四月五日・金曜日の夜までの、「わたしの映画館」である。わずかな時期に限られてはいるが、著者は十年前もこのようにして映画を見ていたのだし、恐らく十年を経てもなおこのようであるだろう。
目次
神戸わたしの映画館(松竹新劇―山田洋次にちょっと注文;新公園劇場―右眼と映画と『ワーテルロー』;六甲東映―団鬼六と坂道の街;繁栄座―雨の日の映画館 ほか)
その後の神戸わたしの映画館(アサヒシネマ―「映画友達」のことなど;新劇会館シネマ1―映写室をスケッチする)
予告篇(映画のあとで2001)
著者等紹介
浅田修一[アサダシュウイチ]
1938年生。『街と映画と松葉杖』(神戸「人とまち」編集室)。『教師が街を出てゆく時』(筑摩書房)。『神戸わたしの映画館』『現代高校生気質』『映画のあとで』(以上、冬鵲房)「〈普通の人たち〉の映画」(熊沢誠ほか編『映画マニアの社会学』明石書店)。『ことばだけではさびしすぎる』(大沢恒保と共著、ぼっと舎)などの著書がある。2001年没
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