遺稿「デクノバウ」と「暗愚」・追悼/回想文集

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  • サイズ B6判/ページ数 195p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784938364519
  • Cコード C9092

内容説明

高村光太郎研究の第一人者、北川太一の遺稿。賢治「デクノバウ」と光太郎「暗愚」の思想的背景、両者の心の葛藤を独自の視点で書き留め、この文が絶筆となった。太一ゆかりの人々による追悼・回想文も収める。

目次

1 遺稿をめぐって(「デクノバウ」と「暗愚」(遺稿)
「没我利他」の系譜―賢治・光太郎、そして北川太一
「雨ニモマケズ」の評価と受容について)
2 追悼北川太一(北川太一先生を偲んで;あの日の言葉―北川太一先生への感謝の手紙;北川太一先生と父と光太郎 ほか)
3 回想北川太一(先生に牽かれて―想い残るいくつか;出逢いと別れ;北川太一先生の思い出 ほか)

著者等紹介

北川太一[キタガワタイチ]
大正14年(1925)3月、東京日本橋生まれ。昭和12年(1937)東京府立化学工業学校に入学。同学年に吉本隆明がいた。昭和17年(1942)産業技手補として丸の内で働き、夜は飯田橋の東京物理学校(現・東京理科大学)に通う。出征後、昭和20年(1945)海軍技術少尉として愛媛県宇和島で敗戦に遭う。焼土と化した東京に戻り、その年の秋には俳句集「研叩帳」・詩集「焔」(ともに私家版)をつくる。戦後は東京工業大学の大学院で学び、研究室は異なるが吉本と光太郎について語りあう。昭和27年(1952)秋に晩年の光太郎を中野に訪ね、亡くなる昭和31年(1956)まで親交を重ねる。この祈りに草野心平を識る。また都立向丘高等学校定時制教諭として40年近い歳月を過ごすかたわら光太郎没後、全集編纂の実務を手掛けた。令和2年(2020)1月12日逝去、享年94歳。なお光太郎の命日、4月2日に毎年催されている「連翹忌」及びその運営は平成24年(2012)より小山弘明に引き継がれている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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