内容説明
明治が大正に変る1912年、光太郎は斎藤与里の熱意を受け岸田劉生、木村荘太等とともにヒュウザン会を興す。北山清太郎の支援・協力により催された展覧会は「公」に対するアンデパンダンであった。
目次
プロローグ
さまざまな前景―装飾美術展その他
展覧会前夜―明治から大正へ
ヒュウザン会始まる―新聞のキャンペーンが成果
さまざまな反響(寅彦と「ツツジ」と漱石;光太郎の詩「さびしきみち」)
第二回展に向って―北山清太郎の功績
第二回展覧会開催―関如来の展覧会評
ヒュウザン会崩壊―人見東明(清浦青鳥)のエール
ヒュウザン会から生活社へ―尾崎喜八ら、若き詩人との交遊
著者等紹介
北川太一[キタガワタイチ]
大正14年東京に生まれる。東京工業大学卒。昭和23~60年、都立向丘高等学校定時制教諭。晩年の高村光太郎に親しみ、草野心平・堀津省二らと資料の収集・整理・刊行に努める。没後二度の『高村光太郎全集』をはじめ『高村光太郎全詩集』などを編み、書を含む造型作品や智恵子作品の集成にも関わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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