長崎新聞新書<br> カクレキリシタン - オラショー魂の通奏低音

長崎新聞新書
カクレキリシタン - オラショー魂の通奏低音

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  • サイズ B40判/ページ数 295p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784931493407
  • NDC分類 198.221
  • Cコード C0239

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

秋 眉雄

22
著者が幾度か「ロマンを感じるべきではない」というようなことを言うのですが、地図を見ただけでは、実際の広さや距離感がよく判らない、そう広くもなく遠くもない、さほど広範囲ではないだろう地域でありながら、各々の村単位で細部はもちろんのこと、大まかな部分でさえ違いがあるというところにはやはり『隠れ続けた』ことを偲ばせるある種のロマンを感じざるをえないです。カクレがカクレのまま、現在のカトリックの影響を受け、その上で再カトリック化している事例などは、もうなんか凄いな!としか言えないなというか。2019/12/25

はぴた(半分お休み中)

11
江戸か明治にかけて弾圧されたキリシタンのイメージは、悲しくある種のロマンさえ抱いてしまいがちだ。しかし「カクレキリシタン」とは切支丹の教えを守る人々ではなく、すでに本来の意味がわからなくなっていても、祖先から伝えられたものを継承していく祖先崇拝教徒だと著者は書いている。彼らの歴史、祈り、行事をそれぞれの地域ごとに細かく調査記録している。2001年に書かれたものなので、既にこの中の多くのカクレの組織は解散に追い込まれているだろう。貴重な資料だ。2015/08/29

moonanddai

9
宗教というか信仰のあり方というものをすごく考えさせられました。カクレキリシタンはシッポこそキリスト教に残っていても、すでに別物と言っていいようです。仏教も神道も隠れ蓑でも何でもなく、仏教徒であることを当たり前のように思い、神社の氏子であることにも何の疑いも持たず、そしてカクレの信者であることにもなんの抵抗もないようです。(やはり「多くは」と付け加えるべきでしょうが…。)そんな姿が日本の宗教観であり、「それでいいんだ」という(いわゆる)「融通無碍な多神教」信者となるのでしょう。そう、「それでいいんだ」…。2018/05/22

アメヲトコ

4
ここでいうカクレキリシタンとは、近世の潜伏者ではなく、明治に禁教が解けた後もそれまでの信仰を保持し続けた人々を指しています。「お授け」(洗礼)や「御誕生」などにはキリスト教の名残があるものの、ケガレへの強いタブーや「神寄せ」、直会など、神道的な側面がかなり入っているのも興味深く、「カクレはキリスト教徒ではなく、祖先崇拝教徒」という位置づけはおそらく正しいのでしょう。カクレが現在消滅の危機にあるなかで、本書に克明に記される実態調査はきわめて貴重な成果です。2014/09/30

unpyou

3
五島や平戸など長崎県下で、潜伏キリシタン時代から続く信仰を21世紀の今でも守っている人々がいる。仏教や神道、祖先崇拝と混淆し、もとのカトリックとは大きく異なる土俗信仰となっているこの「カクレキリシタン」信仰を追う書。サンジュワン様などの殉教者信仰や、仏式の葬式をあげつつ並行して唱えられる「経消しのオラショ」などの独特の様式(信仰者自身に自覚されていないのがまた面白い)を持つ一方で、カクレの信徒であると同時に仏教徒である事に矛盾がないという極めて日本的な宗教心の在り様は、とても刺激的で考えさせられるものだ。2013/11/08

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