内容説明
1939年夏、フルトヴェングラーとベルリン・フイルの訪日公演計画があった。しかもあのツェッペリンに乗って―。一枚の写真があきらかにした不世出の大指揮者の幻の訪日計画、そして日本との意外な関係。
目次
第1章 幻の日本公演計画
第2章 スケジュールの空白
第3章 夢を運ぶツェッペリン
第4章 来朝は風聞に非ず
第5章 ベルリン‐東京
第6章 戦争、受難の日々
第7章 その死、日本での復活
著者等紹介
横田庄一郎[ヨコタショウイチロウ]
1947年生まれ。朝日新聞記者。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
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感想・レビュー
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伊之助
25
本書目次の前に三人の男が収まる古ぼけた写真がある。真ん中に座るのがフルトヴェングラー、両脇に立つのは二人の日本人。ワイマールの時代1931年にフルトヴェングラーの自宅で撮影されたものだという。二人の日本人は何者か、既にカリスマ的な名声を得ていた指揮者フルトヴェングラーの自宅に、日本人がなぜ行き得たのか。何の用で。これだけでも充分興味深い。記述はそのあたりの謎を追うように進むが、次第に話は東京公演を超え、ナチスの時代に翻弄されつつも一義に音楽の僕であろうとしたフルトヴェングラーの苦悩の人生が明かになる。→2016/03/08
Susumu Kobayashi
4
朝日新聞に掲載された記事を読んで、戦前にフルトヴェングラーがベルリン・フィルを率いて訪日する計画があったことを知った著者が、過去の資料等を発掘して事情を調べた経緯が述べられている。ジャケットにある写真はフルトヴェングラーを中央に、向かって左には新進気鋭の音楽家貴志康一、右側には新聞記者の加藤鋭五(後の京極高鋭)が写っていて、フルトヴェングラーが大切に所持していたものだという。政治に翻弄されたフルトヴェングラーという大指揮者のことをより理解できるようになった。2018/08/15
くまこ
2
ノンフィクションとしても、音楽評論としても傑作だと思う。題名とカバーフォトから、洗練されたミステリーのような印象も受けるが、中身はいたって武骨なフルトヴェングラー評伝。新聞記者である著者が、膨大な資料を紐解きながら、フルトヴェングラーの実像や当時の世界状況に迫っている。とりわけ、第6章の戦争責任のくだりは、独立した小論として読み応えがあった。巻末に掲載された参考文献はコピーをとり、今後の読書チャートにしていきたい。 2012/02/28