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内容説明
一八歳と七ヵ月。高良美世子の全遺稿。
目次
詩 星が飛ぶ―高良とみ
高良美世子遺稿(中学一年(一九四九年四月~一九五〇年三月)
中学二年(一九五〇年四月~一九五一年三月)
中学三年(一九五一年四月~一九五二年三月)
高校一年(一九五二年四月~一九五三年三月)
高校二年(一九五三年四月~一九五四年三月)
高校三年(一九五四年四月~一九五五年三月))
追悼と手紙(高良美世子さんの印象など―大村新一郎;高良美世子、永遠の友―高階(石井)菖子
追悼詩・真木への手紙―高良留美子
美世子、真木、留美子宛の便り―高良とみ・高良武久・高良登美)
著者等紹介
高良美世子[コウラミヨコ]
1935年11月から母・高良とみ(心理学者・政治家)の胎内でインドへ行き、詩聖タゴールとインド独立運動の父マハトマ・ガンジーの前に座る。1936年8月東京生まれ。幼いころ、当時の女性の先駆けとして孤独な道を歩いた母に溺愛され、父、姉妹との関係が疎遠になる。東京教育大附属中学時代、創作・作曲・絵画の道を模索し、音楽をこよなく愛した。成城学園高校時代は新聞部で活動したが、多忙な母の愛情を求め拒食症を発症、不登校になる。滞仏中の長姉・真木を慕い帰国を待ちわびる。1955年3月、睡眠薬を飲み発見されたが、肺炎を起こして死去。享年18歳
高良留美子[コウラルミコ]
1932年12月東京生まれ。戦争中は栃木県那須に学童疎開。自由学園初等部、日本女子大附属高校を経て東京藝術大学美術学部、慶應義塾大学法学部に学ぶ。先鋭な学生の文化雑誌『希望(エスポワール)』に参加、56年東南アジアを経て海路フランスへ短期留学、詩集『生徒と鳥』で詩壇に出る。国立近代美術館勤務。89~96年、城西大学女子短期大学文学部客員教授。97~98年、東京放送(TBS)のドキュメンタリー番組『神々の詩(うた)』に毎週巻頭詩を書く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。