内容説明
1956年~59年という、あの時期にハイチ国境地域になぜ、移住を進めたのか…。ドミニカ移住の基本問題。
目次
第1部 偽装「海外派兵」としてのドミニカ移住(国へ損害賠償請求―残留者の一二六人第一回公判が開かれる;ドミニカ移民の特別な役割;本件移民訴訟の真実と正義;言い逃れに終始する答弁書;ニクソンの意受け入植強行 ほか)
第2部 ドミニカ移住政策への視点(月刊誌『世界』のドミニカ移民認識の貧困さ;憲法が保証する基本的人権の視点からみたドミニカ移住政策;ドミニカ移住問題を見る四つの目;私におけるドミニカ移民問題の発端;ドミニカ移民とカリブの政治状況 ほか)
第3部 資料編
著者等紹介
小林忠太郎[コバヤシチュウタロウ]
1930年信州(長野県)野尻湖畔―旧信濃尻村に生まれる。県立農学校卒業後、代用教員、村役場書記補等。のち、日本大学・同大学院(畜産学、農業経済学)、東京教育大学農学部(総合農学・菱沼達也教授)、東京大学農学部(農政学・近藤康男教授)に学ぶ。1957年日本大学助手、62年専任講師(牧野論、畜産経済学、畜産立地論等担当)。日本大学教職員組合結成に、右翼的暴力に屈せずに参加し、農学部支部委員長となり、学生の人権闘争に共闘。「学生扇動」を理由に1969年暮れに懲戒免職となり、反処分法廷闘争18年を経て東京高裁の和解勧告により「休戦」、日本大学を「任意退職」。その間、反大学講座「農業原論」を開講、農民の文化研究所を創設し、代表となり今日に至る。また、横浜市市ヶ尾に共生共育大学共学舎を再建し、理事・学長に選任される。1972年以来衆議院議員秘書、政策担当秘書国家資格取得、日本社会党衆議院秘書団副委員長等歴任
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