内容説明
動物の側の哲学。ユクスキュル、デリダ、リルケ、ハイデガー、メルロ=ポンティ、バタイユ、ドゥルーズ、アガンベンらの動物論から絵画、映画、文学に描かれた動物たちまであまねく検証し、西欧人間中心主義を脱構築する。
著者等紹介
バイイ,ジャン=クリストフ[バイイ,ジャンクリストフ] [Bailly,Jean‐Christophe]
1949年パリ生まれ。フランスの作家・思想家。芸術論からエッセー、小説、詩、演劇まで幅広く手がける。ブロワ自然・景観高等国立学校の教授
石田和男[イシダカズオ]
1948年生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。法政大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。弘前大学大学院社会福祉学専攻修士課程修了。横浜薬科大学講師を経て、近畿医療福祉大学教授(2011年~2013年)となる。専門は現代哲学、福祉心理学
山口俊洋[ヤマグチトシヒロ]
1968年生まれ。2002年東京都立大学博士課程単位取得満期退学。パリ第4大学に留学。専門は20世紀フランス文学、フランス映画。現在、首都大学東京ほかでフランス語講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きつね
11
時折デリダやドゥルーズ、ハイデガー等への暗黙の参照を含みながらも、基本的には小難しい言葉抜きで書かれている。おそらく仰々しい観念的な概念によって(つまり言葉によって)分節、分析することがすでに人間中心主義的であるという判断からであろう。視ること、感じることがまずもって強調され、文体・論じ方にも反映されている。それがマニフェスト的に「正しい」として、本当に有効な手だてなのかは措く。それにしても、環世界を可変的な、発明途上のものと捉える発想は面白い。ハエにとって世界がどう見えているか図示したところで、どのよう2013/12/22
爐
4
誤解を招くだろう邦題。"Le Versant Animal"という原題から思考という側面を読み取るとしてもそれは近現代の知が規定するような意味での思考ではない。プロティノスの流出論から導き出された「自ら思考になる」、生自体が思考であるという意味においてである。そのそれぞれに異なる存在や世界が織りなすものとして個々の動物の生や思考、世界は捉え直される。動物を思考や存在の世界から排除するか劣った存在とみなすことで成立する(デカルトやハイデガーのような)知的伝統からの動物を追いかけながらの脱出が試みられている。2018/01/07
砂
2
「プロティノスの方向づけによれば、いかなる存在も〈…〉同時に、生産、観照、実践としての思考、そして記憶とみなされる。プロティノスが絶えず言及し、注意を喚起する役目を果たしている「かの地」が忘れられることは決してない。〈…〉「かの地」は、それを記憶している思考、形態であり、生物である思考の流出に絶えず提示されているからだ。」(129)2014/08/16