彫刻SCULPTURE ※2020年10月重版出来予定 〈1〉 空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ

彫刻SCULPTURE ※2020年10月重版出来予定 〈1〉 空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ

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  • サイズ 46判/高さ 19cm
  • 商品コード 9784909744005
  • NDC分類 710.4
  • Cコード C0070

出版社内容情報

彫刻とは何か?── 「空白の時代、戦時の彫刻」と「この国の彫刻のはじまりへ」の2つの特集を柱に、 8本の書き下ろし論考、2人の彫刻家へのインタビュー、鼎談、詩を収録。 この国が孤立主義と軍国主義に落ちこんでいった時代と併走し、国家権力の流れを映し出した「彫刻」に光を当てる。 彫刻をめぐる叢書「彫刻 SCULPTURE」創刊号(次刊は2019年夏、刊行予定)。

目次
【巻頭言】小田原のどか「近代を彫刻/超克する」
【インタビュー】小谷元彦「彫刻の変わらなさ」
【詩】山田亮太「報国」

■特集I:空白の時代、戦時の彫刻
平瀬礼太「戦争に似合う彫刻」
千葉慶「公共彫刻は立ったまま眠っている──神武天皇像・慰霊碑・八紘一宇の塔」
椎名則明「鑿の競作──《和気清麻呂像》建設を巡る諸問題」
迫内祐司「近代日本における戦争と彫刻の関係──全日本彫塑家連盟を中心に」
【鼎談】白川昌生+金井直+小田原のどか「『彫刻の問題』、その射程」

■特集II:この国の彫刻のはじまりへ
金子一夫「工部美術学校の彫刻教育の歴史的意義」
髙橋幸次「ロダンの言説輸入と高村光太郎──「道」について」
田中修二「彫刻と地方(試論)──朝倉文夫と北村西望の場合から」
小田原のどか「空の台座──公共空間の女性裸体像をめぐって」
【インタビュー】青木野枝「彫刻という幸いについて」
[資料]マップ・年表・索引

著者紹介
平瀬礼太
1966年生。日本近代美術。愛知県美術館学芸員。
主な著書に『銅像受難の近代』(吉川弘文館、2011)、『彫刻と戦争の近代』(吉川弘文館、2013)。

千葉慶
1976年生。近現代日本美術史。
著書に『アマテラスと天皇──〈政治シンボル〉の近代史』(吉川弘文館、2011)。

椎名則明
1975年生。日本近現代史。
主な論文に「近代日本における銅像建設と戦争」(山田朗編『【もの】から見る日本史戦争II 近代戦争の兵器と思想動員』青木書店、2006)。

迫内祐司
1981年生。近代日本美術史。小杉放菴記念日光美術館学芸員。
主な著書に『美術の日本近現代史』(東京美術、2014)。

金子一夫
1950年生。美術教育学。茨城大学特任教授。
主な著書に『近代日本美術教育の研究明治時代』(中央公論美術出版、1992)。

髙橋幸次
1953生。美学、美術史、芸術学(近現代彫刻)。日本大学芸術学部教授。
主な論文に「ロダン 神話の解体と展望」永井隆則編『フランス近代美術史の現在ニュー・アート・ヒストリー以後の視座から』(三元社、2007)。

田中修二
1968年生。近現代日本美術史。大分大学教育学部教授。
『近代日本彫刻史』(国書刊行会、2018)。

山田亮太
詩人。TOLTAメンバー。
主な詩集に『オバマ・グーグル』(思潮社、2016、第50回小熊秀雄賞受賞)。

白川昌生
1948年生。美術作家。
主な著書に『美術館・動物園・精神科施設』(2010)、主な編著に『芸術と労働』(2018、いずれも水声社)。
主な展覧会に「あいちトリエンナーレ2016」、 「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ 地域に生きる想像」(アーツ前橋、2014)。

金井直
1968年生。イタリア美術史および近現代彫刻史。信州大学人文学部教授。
主な共著に『彫刻の解剖学』(ありな書房、2010)、『自然の鉛筆』(赤々舎、2016)。

青木野枝
1958年生。彫刻家。
主な個展に「ふりそそぐものたち」(豊田市美術館、名古屋市美術館、2012)。
2019年に長崎県美術館にて個展開催予定。

小谷元彦
1972年生。彫刻家。東京藝術大学先端芸術表現科准教授。2019年4月より東京藝術大学彫刻科准教授。
主な個展に「小谷元彦 幽体の知覚」(森美術館、熊本市現代美術館、静岡県立美術館、高松市美術館を巡回、2010-11)。

小田原のどか
1985年生。彫刻家、彫刻研究。トポフィル共同主宰。
主な編著に『彫刻の問題』(トポフィル、2017)、『原爆後の七〇年──長崎の記憶と記録を掘り起こす』(長崎原爆の戦後史をのこす会、2016)。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

6
小田原のどか編集による、「彫刻」というそれ自体極めて曖昧な訳語に込められたものを紐解いてく試み。戦意高揚のための軍人像の台座がそのまま平和のための裸婦像に使われている、しかもどちらも電通のPR事業だったという事実を最初知った時は「うわぁ」って思ったな。近代の日本の彫刻において大家と呼ばれる人が多く地方出身者であったことが印象に残ってる。高村光太郎にしろ北村西望にしろ、素朴に彫像を生きてきた人間が、最もプロパガンダに効果的な振る舞いと制作をしてしまう。じゃあどうすりゃいいってんだ。2020/09/19

owlsoul

1
「彫刻」とは何か。私たちはそれを吟味することなく、今もなお中途半端に受容している。1876年に工部美術学校彫刻学科が開設されたのは、西洋風建築物の装飾をつくる人材を育成するためだった。当時の日本はその思想や哲学を理解しないまま装飾として彫刻の技法を輸入する。その結果、戦後日本の公共空間には意味不明な裸婦像が乱立することになった。戦時中は戦意高揚に利用され、戦後は平和の象徴にすげ替えられた数々の彫刻は、一種のプロパガンダ装置でもあるのだ。小田原のどかの論文のベースはネット公開されている→『彫刻を見よ』で検索2022/01/03

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