古典の未来学―Projecting Classicism

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古典の未来学―Projecting Classicism

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  • サイズ A5判/ページ数 872p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784909658395
  • NDC分類 910.2
  • Cコード C0095

出版社内容情報

古典研究にとって、いまは決定的なピンチか、千載一遇のチャンスか。


古典研究の方向や古典性のありかを広く考察し、新しい古典学を提示しようとする書。


全44名により、古典研究が近未来の人文学に提示すべき、学際的な意味や国際的可能性を追究した、刺激的で多角的な論集。


いま誰が何を考え前に進んでいるのか。
古典研究の最前線から今後の可能性を問いかけ広げようとする、ヒント満載の書です。


古典と付き合う全ての人に。




執筆は、荒木 浩、松平莉奈、中前正志、上野友愛、石上阿希、土田耕督、屋良健一郎、前島志保、グエン・ヴー・クイン・ニュー、平野多恵、山藤夏郎、野網摩利子、河東 仁、河野貴美子、岡田圭介、竹村信治、飯倉洋一、渡部泰明、渡辺麻里子、中野貴文、呉座勇一、山本陽子、楊 暁捷、深谷 大、齋藤真麻理、三戸信惠、前川志織、金容儀、ヴィーブケ・デーネーケ、河野至恩、ゴウランガ・チャラン・プラダン、李 愛淑、エドアルド・ジェルリーニ、アンダソヴァ・マラル、ダニエル・シュライ、和田琢磨、谷口雄太、亀田俊和、井上泰至、伊藤慎吾、合山林太郎、葛 継勇、稲賀繁美、ガリア・ペトコヴァ(執筆順)。

[目次]
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序論 〈投企する古典性―Projecting Classicism〉から「古典の未来学」へ[荒木 浩]

一、研究の現在と消えゆく未来─コロナ禍と『なぐさみ草』

二、『なぐさみ草』の投企性から〈未来学〉へ

三、〈投企=Projecting〉する古典性とは

四、本論集の企画と構想 五、「古典の未来学」へ



? 投企する古典性



第1部 古典を見せる/古典を活きる



1?1 古典を見せる―展示という方法



第1章 女子大で古典を展示するということ―実践報告とそれに基づく若干の考察[中前正志]

一、はじめに

二、古典籍展示履歴

三、見られてなんぼの展示

四、わたし、ふじのちゃん。

五、京女に久米の仙人が落ちてきた!?

六、あることないこと二人の会話をでっち上げる

七、おわりに



第2章 美術で楽しむ古典文学―「徒然草」展の事例報告[上野友愛]

一、はじめに

二、企画の経緯

三、海北友雪筆「徒然草絵巻」の展示

四、現代語訳の作成

五、来館者からの声

六、おわりに



Column 1

文化をつなげる場としての展覧会

―ロンドン大学SOAS大英博物館の国際共同研究プロジェクトを事例として[石上阿希]

一、はじめに

二、国際共同プロジェクト

三、国際春画研究プロジェクトの場合

四、大英博物館春画展のその後



1?2 古典を活きる―韻文の創作とその展開



第3章 即興と記憶?中世和歌連歌における「擬作」「本歌」「寄合」をめぐって[土田耕督]

一、序

二、「擬作」と本歌取─和歌における即興性:〈予見/準備〉としての記憶

三、本歌取と「寄合」─連歌における即興性 ?:詞の〈自動補完〉プログラム

四、「当座の感」と「心付」─連歌における即興性 ?:〈表現〉という反応

五、結 〈随意〉創作の位置



第4章 琉球における和歌の受容と展開[屋良健一郎]

一、はじめに

二、琉球人の和歌習得

三、近世琉球人の作品

四、和歌と琉歌

五、琉球人と和歌

六、おわりに



第5章 世紀転換期日本および西洋における俳句の詩的可能性の拡大―出版、翻訳、再評価[前島志保]

一、「俳句」理解への取り組みの世界同時性

二、従来の俳句鑑賞の継承

三、新しい俳句鑑賞傾向・1─デノテーションの復権

四、新しい俳句鑑賞傾向・2―作者の感情表出として

五、新しい俳句鑑賞傾向・3─コノテーションへの注目

六、拡大される俳句の詩的可能性



第6章 教科書から実践的な俳句学まで[グエン・ヴー・クイン・ニュー]

一、はじめに

二、古に学ぶから今を生けるまで

三、豊かな言葉文化論の地位づけ

四、新しく面白い俳句学

五、まとめ



Column 2

時をかける和歌―おみくじと占い[平野多恵]

一、はじまりは、短大の授業

二、室町時代の和歌占い─阪本龍門文庫蔵『歌占』の実践

三、江戸時代の和歌占い―『晴明歌占』の実践と展開

四、「天祖神社歌占」―神社と大学の合同プロジェクト

五、おわりに─和歌を生きる



第2部 投企する古典性/古典との往還



第7章 身を投げる/子を投げる―孝と捨身の投企性をめぐって[荒木 浩]

一、捨身の投企性─清水の舞台を発端に

二、薩?王子「捨身飼虎」と雪山童子「施身聞偈」の類比とずれ

三、『三宝絵』上巻の本生譚が描く生と死

四、孝と捨身と死の描写

五、「孝」思想と死なない子

六、身を投げる?子を投げる?─仏陀の妻と一子

七、『金光明最勝王経』の虎と義母



第8章 透明な声、隔たりの消失―古典世界において〈一つ〉の世界はいかに想像されたか[山藤夏郎]

一、序

二、一つの声の分裂という歴史像

三、文字以前の理想化─「太古」表象のパターン

四、文字の原理─「分ける」ということ

五、「太古」の世界では動物とも意思の疎通が可能だった?



第9章 古代からの道行き―『行人』[野網摩利子]

一、はじめに

二、古代の悲恋をふまえて

三、約束の再設定と違反

四、嵌められた物語への抵抗

五、古代歌謡による小説の加速



第10章 『豊饒の海』縁起絵?『浜松中納言物語』、夢と転生、そして唯識思想[河東 仁]

一、はじめに

二、『春の雪』

三、『奔馬』

四、『暁の寺』

五、『天人五衰』

六、縁起論

七、おわりに



第11章 北京人文科学研究所の蔵書から考える「投企する古典性」[河野貴美子]

一、はじめに

二、『北京人文科学研究所蔵書目録』及び『続目』にみる古典籍の蒐集と研究

三、『北京人文科学研究所蔵書目録 再続』にみる典籍の蒐集

四、おわりに



Column 3

出版社の立ち上げと、これから[岡田圭介]

一、二〇一七~一八年

二、二〇一九年

三、二〇二〇年

四、学術メディアとして

【付】貸借対照表及び損益計算書



第3部 古典を問う/古典を学ぶ



第12章 「投企」のカタチ―教室の「古典」[竹村信治]

一、はじめに

二、「古典は本当に必要なのか」

三、古典?

四、「投企」のカタチ─その前に

五、おわりに



第13章 未来に活かす古典―「古典は本当に必要なのか」論争の総括と展望[飯倉洋一]

一、はじめに

二、古典不要派の主張

三、古典不要派の主張1 優先度

四、古典不要派の主張2 芸術科目

五、古典不要派の主張3 現代語訳

六、古典不要派の主張4 ポリティカルコレクトネス

七、国語力の一部としての古文・漢文

八、古典知の可能性

九、資本としての古典

一〇、おわりに─遺産としての古典 



第14章 古典を必修にするために[渡部泰明]

一、問題のありか

二、基礎科目としての古典

三、リテラシーを育成する科目としての古典



第15章 くずし字を知ること―日本古典文学の基礎学を考える[渡辺麻里子]

一、はじめに

二、弘前におけるくずし字普及活動

三、くずし字の伝え方

四、古典文学の基礎学

五、おわりに―現代人にとっての古典



Column 4

古典との出会い方[中野貴文]

一、―月が綺麗ですね―

二、―今、あなたと同じ月を見ている―

三、―さらば愛しき古典よ―

四、―古典文学を自由化する―



Column 5

宣伝される大衆僉議―中世一揆論の再構築[呉座勇一]

一、はじめに

二、強訴とは何か

三、強訴の呪術性

四、大衆僉議は神秘的か

五、豪雲説話を読みなおす

六、大衆僉議の宣伝性

七、おわりに



第4部 古典を観る/古典を描く



第16章 筍と土蜘蛛―古典がジャンルを越えるとき[山本陽子]

一、はじめに

二、豊国祭礼図?風のタケノコ

三、孟宗はどこか

四、さまざまな孟宗

五、異色だらけの「土蜘蛛草紙絵巻」

六、東博本の化物たち

七、東博本の詞書

八、東博本が典拠としたもの

九、東博本の典拠の制約

一〇、人形芝居ならば

一一、人形芝居と東博本

一二、ジャンルを越えて広がるとき



第17章 頼光の杖―混沌にして豊穣な絵巻模写の世界へ[楊 暁捷]

一、鬼が岩屋への道

二、模写ということ

三、諸本を探る

四、模り写すことの限界

五、多様な展開

六、変化が物語るもの

七、模写を読み解く



第18章 語り物文芸の視覚化―説教源氏節の性格と意義[深谷 大]

一、はじめに

二、説教源氏節の名称

三、説教源氏節の創設者

四、新内節・説経節・説経祭文

五、説経節の大衆化

六、草創期の説教源氏節

七、草創期の人形遣いと人形戯

八、明治初頭の岡本諸座

九、明治一五年頃の岡本諸座

一〇、説教源氏節芝居

一一、一座の構成と入場料 

一二、説教源氏節(芝居)の伝播

一三、説教源氏節の音曲としての性格

一四、娘義太夫への対抗意識

一五、明治三四、三五年頃の岡本諸座

一六、結び



第19章 故事を遊ぶ―「戯画図巻」という文芸[齋藤真麻理]

一、「戯画図巻」の登場

二、室町物語と「戯画図巻」―『富士の人穴の草子』

三、当代性の反映―「戯画図巻」観音の射的

四、明代版本の受容―張果老のすがた

五、むすびに代えて



第20章 風景を捉える川合玉堂の眼差し―大衆性と同時代性と[三戸信惠]

一、 川合玉堂と「大衆性」

二、 明治二八年の「鵜飼」─山水画の構図、名所絵版画の視点

三、 明治三九年の「渓山秋趣」─『日本名山図会』の眼差しを求めて

四、 大正三年の「駒ヶ岳」─『日本風景論』が提示した新たな眼差しの枠組み

五、 昭和期の動向─写真との関わり



第21章 洋画家・岸田劉生の初期の制作にみる古典性の投企―美術の複製メディアを手がかりに[前川志織]

一、はじめに

二、明治後半期から大正初期にかけての複製による美術の受容

三、劉生の初期の制作と複製としての美術

四、おわりに



第22章 柳田國男『遠野物語』の「戦争物語」への変奏―村野鐵太郎監督の映画「遠野物語」を中心に[金 容儀]

一、はじめに

二、特化される「オシラサマ」伝承

三、映画「遠野物語」の民俗世界

四、娘と馬の幻想的な「悲恋物語」

五、「遠野物語」から「戦争物語」への増幅と変奏

六、おわりに



第5部 古典を展く/古典を翻す



第23章 「日本文学史」の今後一〇〇年―『日本「文」学史』から見通す[ヴィーブケ・デーネーケ×河野貴美子]

一、「国文学」のパラダイムを問い直す

二、『日本「文」学史』の構想と構造

三、『日本「文」学史』第三冊「文」から「文学」へ─東アジアの文学を見直す The Path from “Letters” to “Literature” :A Comparative History of East Asian Literatures の挑戦

四、『日本「文」学史』からの展望

五、二一世紀の人文知とは─世界の古典学から考える The Humanities in the 21st Century: Classical Studies in and for the World



Column 6

投げ出された言葉を繋ぎ止めるために―翻訳の準備的作業としての「概念史」[河野至恩]

一、「投企」と翻訳

二、「投げ出された言葉」の翻訳論

三、翻訳の方法と「概念史」

四、翻訳の準備的作業としての概念史―二つのモデル



第24章 投企された「英訳方丈記」―夏目漱石の「作家論」から「天才論」へ[ゴウランガ・チャラン・プラダン]

一、はじめに

二、「投企」という概念について

三、「英訳方丈記」にみる漱石の作家論

四、「英訳方丈記」の作家論の形成について

五、投企された「英訳方丈記」の作家論

六、終わりに向けて



第25章 古典の翻訳―大衆性と視覚性を問う[李 愛淑]

一、はじめに

二、大衆性を問う

三、視覚性を問う

四、世界文学として



Column 7

投企する文学遺産―有形と無形を再考して[エドアルド・ジェルリーニ]

一、古典性という「価値」

二、文化遺産から文学遺産へ

三、有形と無形の相互投企

四、現代を相対化する文学遺産



第6部 古典と神話/古典と宗教



第26章 古事記の〈天皇像〉―「詔」の分析をとおして[アンダソヴァ・マラル]

一、はじめに

二、オホクメと神武の求婚

三、天皇と出雲の神々

四、気比大神

五、景行天皇とヤマトタケル

六、目弱王と忍歯王

七、結論─「詔」からみる古事記の天皇像



第27章 一三世紀の失敗した宗教議論―『広疑瑞決集』の政治議論を中心に[ダニエル・シュライ]

一、『広疑瑞決集』 の議論はなぜ失敗したのか

二、議論の失敗の原因は何か

三、宗教的な議論

四、政治論の背景

五、政治の議論

六、引用文の確認

七、解決失敗の理由についての一考



? 特論―プロジェクティング・プロジェクト



第1部 「投企する太平記―歴史・物語・思想」から



第1章 点描 西源院本『太平記』の歴史―古写本から文庫本まで[和田琢磨]

一、はじめに

二、元禄二年─『参考太平記』の作成

三、大正八年三月─〈影写本〉の作成

四、昭和一〇年五月二五日─刀江書院本刊行の背景

五、平成二六年─岩波文庫本刊行開始

六、おわりに



第2章 「太平記史観」をとらえる[谷口雄太]

一、はじめに

二、「太平記史観」を定義する

三、それが「太平記史観」だと気付くまで

四、「太平記史観」批判の現在

五、「太平記史観」超克の未来

六、おわりに



第3章 『太平記』に見る中国故事の引用[亀田俊和]

一、はじめに

二、中国故事引用の頻度・分布

三、大規模引用の意図

四、観応の擾乱期における大規模引用の検討

五、『太平記』の編纂過程と中国故事引用

六、おわりに



第4章 『太平記』の近世的派生/転生―後醍醐・楠像を軸に[井上泰至]

一、はじめに─足利将軍木像の梟首

二、歴史読み物としての『太平記』の派生書─その様式の変遷から

三、後醍醐天皇像─失政者はいつ理想の天皇となったのか

四、楠像の変遷─諫臣から忠臣へ

五、史学とは「史料」を使った投企的読みではないのか?



第5章 以津真天の変容―〈創作的解説〉の時代を中心に[伊藤慎吾]

一、『太平記』中の妖怪記事

二、前近代の以津真天

三、現代の以津真天

四、創作的解説

五、いつまでんの誕生

六、〈世界〉から乖離したキャラクター

七、不必要な情報共有

八、おわりに



第2部 「日本漢文学プロジェクト」から



第6章 「和漢」型の漢詩詞華集の流行と近代日本における古典の教養―結城蓄堂『和漢名詩鈔』と簡野道明『和漢名詩類選評釈』[合山林太郎]

一、はじめに

二、「和漢」型の漢詩詞華集の性質

三、中国・日本の詩をともに載せることの意義と背景

四、注解・訓読の付与と独自の書型

五、前代の漢詩文化とのつながり

六、勧学の詩の重視とその背景

七、辺塞詩の収載と日露戦争の記憶

八、おわりに



第7章  元号「令和」?時間の表象と政治の隠喩[葛 継勇]

一、はじめに

二、「梅花の歌」序の出典

三、元号の選定と出典

四、『万葉集』の性格

五、元号にみられる隠喩的な時間

六、おわりに



? Projecting Classicism in Various Languages



Chapter 1

“Distance Reading, Migration of the meaning and Metempsychosis through Translation: Is “World Literature or Global Art” Possible? ―Comparative Literature and Art in the Context of the Globalization ?”[稲賀繁美]



Chapter 2

“Projecting Classicism in Classical Kabuki Theatre ― A Gender Perspective”[ガリア・ペトコヴァ]



あとがき

共同研究会開催一覧

執筆者一覧

キーワード索引
[著者略歴]
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荒木 浩[アラキ ヒロシ]
著・文・その他/編集

内容説明

古典研究が近未来の人文学に提示すべき、学際的な意味や国際的可能性を追究する。いま誰が何を考え前に進んでいるのか。新しい古典学を提示する、刺激的で多角的な論集。

目次

1 投企する古典性(古典を見せる/古典を活きる;投企する古典性/古典との往還;古典を問う/古典を学ぶ;古典を観る/古典を描く;古典を展く/古典を翻す;古典と神話/古典と宗教)
2 特論―プロジェクティング・プロジェクト(「投企する太平記―歴史・物語・思想」から;「日本漢文学プロジェクト」から)
3 Projecting Classicism in Various Languages(“Distance Reading,Migration of the meaning and Metempsychosis through Translation:Is “World Literature or Global Art” Possible?―Comparative Literature and Art in the Context of the Globalization―”;“Projecting Classicism in Classical Kabuki Theatre―A Gender Perspective”)

著者等紹介

荒木浩[アラキヒロシ]
1959年生まれ。国際日本文化研究センター教授・総合研究大学院大学教授。専門は日本古典文学。京都大学大学院博士後期課程中退。博士(文学、京都大学)。大阪大学大学院教授を経て、2010年4月より現職。国文学研究資料館併任助教授、コロンビア大学客員研究員、ネルー大学、チューリヒ大学、ベトナム国家大学、チュラーロンコーン大学、ソフィア大学の客員教授などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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