内容説明
政教分離、旧統一教会、カルト二世…こうした問題を解くためにも。行、夕日、お墓などに宿る日本固有の「クセ」を知ろう。
目次
第1章 日本宗教のクセを考える(「習合」は、日本宗教の得意技;日本宗教のクセ―行・聖徳太子・レンマ)
第2章 夕日の習合論(人類共通と日本特有―二つの「夕日の宗教性」;アジールにいる異能の人たちが担う宗教性)
第3章 お墓の習合論(お墓は宗教よりもはるかに古い;お墓の未来は、共同体の未来)
第4章 今こそ、政教分離を考える(なぜ、政治と宗教は分けないといけないのか;旧統一教会、カルト宗教二世、移民)
第5章 戦後日本の宗教のクセ(敗戦後の霊的空隙を埋めたものたち;「宗教的センス」の養い方)
著者等紹介
内田樹[ウチダタツル]
1950年東京生まれ。東京大学文学部教仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など
釈徹宗[シャクテッシュウ]
1961年大阪生まれ。僧侶。専門は宗教学。相愛大学学長。論文「不干斎ハビアン論」で涙骨賞優秀賞(第5回)、『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞(第5回)、また仏教伝道文化賞・沼田奨励賞(第51回)を受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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tamami
59
内田センセと宗教家釈徹宗さんの対談最新刊。内田センセの本は、怖いもの見たさという感覚でよく手にしているが、今回は素直に大変タメになった。それにしても、専門家の釈さんは兎に角、内田センセは宗教にも造詣が深く、一々頷くことばかり。内容的には、第三章「お墓の習合論」がいろいろ考えさせられた。センセと同年代の自分には、死者と関わる作法を教えてくれる年配者=大人というような話や、釈さんの「過去の他者」「未来の他者」の考え方にも同感する。血縁者以外の中間共同体が痩せている日本と言う指摘に、今やそれさえもと不安が募る。2023/11/24
ネギっ子gen
57
思想家である内田と僧侶の釈による5回のトークライブを書籍化。神仏習合など多岐にわたるテーマを語り合う。【古いものも、ずっと残る】釈:<世界を見渡しますと、例えば仏教でいうと、密教が勃興すると、それ以前の仏教が密教に追いやられてしまって密教一色になったりします。南方のほうでも、かつては大乗仏教各派あったのですが、今はほぼ上部座仏教画が占めています。/キリスト教文化圏だと、もともとあった土俗宗教はなくなっていくんです。でも日本は、ひとつの宗教がものすごく拡大して力を持っても、今までのものも消えずにある>と。⇒2023/12/18
Twakiz
35
自分にはまったく思いもよらないような話題や考え方がポンポン出てくるのが内田先生の本の常である。住職で宗教学者の釈先生との対談本。知らないことだらけ!「日本人はクリスマスを祝ってお寺で除夜の鐘をついて、神社へ初詣に行く」でもそれが日本人の宗教観出会って良いような気がする。「宗教的なセンス」はどれだけ信心深い行動をしているか、とはちょっと別のことであり「異界とのチャンネル」や目に見えないもの(神社に入ると空気の粒が違う!といようなこと)をいかに感じ取れるかといった身体感覚の問題だという指摘にはなるほど。2024/01/06
ryohjin
19
あとがきに「釈先生が「ちゃんとした話」をして、僕(内田樹氏)が「突拍子もない話」をする」とあるように、日本の宗教をめぐるお二人の対談がテンポよく展開しています。夕日の宗教性を語り、金剛組と聖徳太子信仰にふれ、政教分離を考え...幅広く関心を向けて対談が進み、宗教を考える多くのヒントを受けとることができます。終わり近くで宗教的な成熟・未成熟の目安ついて「他者の宗教性・信仰に対して鈍感ではない」「自分の信仰の加害者性に自覚的」なことと挙げて、宗教的なセンスの問題としています。心にとどめておきたいと思います。2023/09/19
Tenouji
16
聖徳太子信仰は面白そうだ。2023/10/01