内容説明
失恋、家事、性的同意、風俗、夫婦別姓、マンスプレイニング、コロナ離婚etc.著者初の本格的ジェンダー・エッセイ集。
目次
1 あの人がいない人生を生きるのだ―失恋による小さな死
2 俺たちは全然客観的で中立的なんかじゃない―男の幼稚さ
3 私たちはすれ違ってすらいないのかもしれない―コミュニケーションと聞く力
4 生理が自己責任になってしまうディストピア―強固な男性優位の社会構造
5 加害者性に苦しむ男たち―抑圧と孤独
6 生まれたからにはまだ死ねない―beingから「私」へ
著者等紹介
清田隆之[キヨタタカユキ]
1980年東京都生まれ。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオで発信している。幅広いメディアに寄稿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ま
27
男性によるジェンダー本。恋愛相談を受ける中で浮かび上がる「俺たち」像に自身の過去の振舞いがフラッシュバックする。黒歴史とか性癖とか、そんなに身を削らなくても、というくらい赤裸々に語られていて初めて出会うタイプの本だった。2024/09/05
Narr
24
清田さんの言語化によってまるで自分のことが丸ごと説明されているようで、鈍い痛みやらスッキリした気持ち良さやらで忙しい読書体験だった。この本で自分のことを言葉にできる男性はきっと多いだろう。その意味で清田さんの(恐らくは多分に恥を含むであろう)語りは重要な功績だ。感謝したい。自分も「勃起するフェミニスト」になってはいないか、自戒を込めて何度でも振り返ろう。ただ一つ、そもそも「俺」は「俺たち」とさよならできるのかということが気になる。むしろ、いまこの場所から語り続けることの方が大切なのではないかと思う。2022/12/25
ステビア
18
あることとすること2021/10/27
ochatomo
13
己の男性というジェンダーを見つめ直し「私」という個人になろうとする “さようであるならば”と訣別し新しいことへ向かう 各種媒体で発表されたものを一冊にまとめてつながりに違和感なく著者がぶれていないことがわかる 行為のdoingから存在のbeingへ 『“男の性欲”だって人それぞれのはず』 そこへ至る道を是非読んでみて欲しい 初出2016~2020年を一部改題・改稿と書き下ろし 2020刊2022/01/13
ほし
12
#MeTooやフラワーデモなどで、女性たちがセクハラや性被害にあった経験を語る運動が起きている中、男性としての自分は自らのジェンダーについてどう向き合っていけばよいのかを考える機会が増えました。そんなぼくにとって、この本はある意味待ってましたともいえる一冊でした。女性からの恋愛相談に乗る活動を続けるうちに、ジェンダーの問題について取り組むようになった筆者が、男性目線でのジェンダー、フェミニズムについて語ったエッセイです。こんな感じで、男性がジェンダーについてもっと語れる場があればいいのにと思います。2020/07/07