出版社内容情報
教育学界最長老の一人にして、衰えることなく吠え続ける宇佐美寛先生が、今作では国語教育に絞り、その現状を斬りました。
読書百遍義自ら見る――「読み書きの能力は、読み書きをすることによって育つ。」として、
?とにかく読む。それも、古典を読み、模範とする。
?体を使って(手書きで)書く。
それなくして読み書きの能力が伸びることはないと言い切ります。
さらに、「発問は教師の論理で作られている。学習者の読み手としての独立した世界の可能性は無視されている。ところが、読み手は独自の想定・関心で原文を読む。独自の世界を作る。ある特定の小さい部分に特に注目する。好きになる。」(p.121)と、発問による授業を「誤った有害な方法」と断じました。
ちなみに「私自身は、毎回、文章を書きはじめる前に、?外の「阿部一族」を五分間程度読む。これで思考の調子が安定する。」(p.118)
第1章 原稿用紙で思考するのだ
第2章 彼(彼女)は東大出だろうな
第3章 読めばいいのだ、書けばいいのだ
第4章 〈お礼〉の記号論
第5章 教室方言
第6章 前おきをやめよう
第7章 概念
第8章 教材文からの遊離・分裂
宇佐美 寛[ウサミ ヒロシ]
著・文・その他
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しんえい
2
読み書きの能力を鍛えるには、読み書きをするしかない。その通りである。だが、授業に発問は不要なのか。いや、必要である。宇佐美寛氏自身も「子どもは未熟・未発達である。だから、子どものための教育内容は、価値が定まった重要な内容を、適切な順で少しずつ与えるべきものである」と述べている(26ページ)。その「与える」方法が発問である。 ……しかし、力量の低い教師がこねくり回した発問をするくらいなら、良文をたくさん読ませ、たくさん作文させた方が良いのであろう。反省した。まずは教師としての力量不足を認めなければならない。2025/05/01
まさきち
1
圧倒的な正論が持ち味の著者に初めて論戦をしてみたいと思った.思考のためには,キーボードではなく,手書きでないといけない(これもきちんと引用してないから怒られるやつだけれどもw)という論は,あくまで野中氏の不手際をパソコンに転嫁しているに過ぎない.精緻な論理をキーボードで綴る森博嗣の文章を宇佐美氏はどう考えるのか.でも,この論戦は,絶対に自分が負ける.この論を支える実践がないからだ.悔しいが,手書き教育はおこなわないぞ.ただ,考え続けることは絶対に怠らない.2019/02/08
今更読書
1
良書。ただ、「お世話になっております。」の件は、今の職場等で自分が言ったら、”メンドクサイ奴”で終わるだろうな・・・w この著者の他の本も是非読んでみたい。2018/10/14
良さん
1
自分のやっている指導法や授業を疑って、じっくり見直していきたいと思った。何よりもまず、自分がしっかり読み書きしないとダメだ、と思った。今まで教えよう教えようとする方向にばかり考えが行っていた。 【心に残った言葉】読み書きを教える当然の方法は読み書きである。発問ではない。多量に、くり返し、しかも入念・緻密に読み書きさせる。これしか無いではないか。(120頁)2018/09/22
にくきゅー
0
どれだけ僕は正確に読み書きできているのだろうか、そんなことを考えさせられた本。久しぶりの宇佐美体験。これをどう超えるか。2018/07/27