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出版社内容情報
ゴーゴリ作品の真髄に迫った名著が大幅増補&新装版で蘇る。著者自らが訳したゴーゴリの『鼻』と横田瑞穂と共訳した『外套』を初再録後藤明生「没後」20年、ゴーゴリ「生誕」210年! ゴーゴリ作品の真髄である「笑い」に迫った名著が、大幅な増補&新装版で蘇る。新版特典として、後藤が翻訳したゴーゴリの『鼻』と恩師・横田瑞穂氏と共訳した『外套』を初再録。伝説の名訳が完全版で掲載されるのは実に40年ぶり! 「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」というドストエフスキーの名文句の真意とは何か? 他者を笑う者は他者から笑われる!???。これまで誤解され続けたゴーゴリの「笑い」を大胆に刷新する、後藤の孤軍奮闘ぶりをご覧あれ!
目次
第一章◎墓碑銘
わが苦き言葉もて人々は笑うなり
第二章◎笑いの方法
一、消滅と出現
二、謎としての現実
三、素材の変形
四、関係のグロテスク
五、夢のリアリズム
六、恥辱と変身
七、逃げる人
八、失われた外套を求めて
九、不思議な戯曲
十、人に語れない思想
第三章◎ペテルブルグの迷路
一、「笑い地獄」の頃
二、立場と文体
三、悲劇と怪談と喜劇
四、幻想とリアリズム
五、ズレの拡大
六、実作と弁明の乖離
七、永遠なる不思議
第四章◎さまよえるロシア人
ヨソ者の目
幾つかの問題
翻訳余話
「何故」だかわからない喜劇
返って来た卒論
ゴーゴリとドストエフスキー
第五章◎方法としての喜劇
小説の構造
噂の構造
ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ年譜
後記
巻末付録? 「鼻」 ニコライ・ゴーゴリ 後藤明生:訳
巻末付録? 「外套」 ニコライ・ゴーゴリ 横田瑞穂・後藤明生:共訳
後藤明生[ゴトウ メイセイ]
著・文・その他
横田瑞穂[ヨコタ ミズホ]
翻訳
内容説明
後藤明生が自ら翻訳したゴーゴリの『鼻』と恩師・横田瑞穂氏と共訳した『外套』を初再録!
目次
第1章 墓碑銘(わが苦き言葉もて人々は笑うなり)
第2章 笑いの方法(消滅と出現;謎としての現実 ほか)
第3章 ペテルブルグの迷路(「笑い地獄」の頃;立場と文体)
第4章 さまよえるロシア人(ヨソ者の目;幾つかの問題 ほか)
第5章 方法としての喜劇(小説の構造;噂の構造)
著者等紹介
後藤明生[ゴトウメイセイ]
1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡永興邑(現在の北朝鮮)に生まれる。旧制中学一年(十三歳)で敗戦を迎え、「三十八度線」を超えて福岡県朝倉郡甘木町(現在の朝倉市)に引揚げるが、その間に父と祖母を亡くす。引揚げ後は旧制福岡県立朝倉中学校(48年に学制改革で朝倉高等学校に)に転入。当初は硬式野球に熱中するが、その後、「文学」に目覚め、海外文学から戦後日本文学までを濫読。高校卒業後、東京外国語大学ロシア語科を受験するも不合格。浪人時代は『外套』『鼻』などを耽読し、本人いわく「ゴーゴリ病」に罹ったという。53年、早稲田大学第二文学部ロシア文学科に入学在学中の55年、「赤と黒の記憶」が第4回・全国学生小説コンクールに入選し、「文藝」に掲載。卒業後、1年間の就職浪人(福岡の兄の家に居候しながら『ドストエフスキー全集』などを読み漁る)を経て、学生時代の先輩の紹介で博報堂に入社。翌年、平凡出版(現在のマガジンハウス)に転職。62年、小説「関係」が第1回・文藝賞・中短篇部門佳作として「文藝」復刊号に掲載。67年、小説「人間の病気」が芥川賞候補となり、その後も「S温泉からの報告」「私的生活」「笑い地獄」が同賞の候補となるが、いずれも受賞を逃す。68年3月、平凡出版を退社し執筆活動に専念。73年に書き下ろした長編小説『挟み撃ち』が柄谷行人や蓮實重彦らに高く評価され注目を集める。また、古井由吉、坂上弘、黒井千次、阿部昭らとともに「内向の世代」の作家と称されるようになる。77年に『夢かたり』で平林たい子文学賞、81年に『吉野大夫』で谷崎潤一郎賞、90年に『首塚の上のアドバルーン』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。89年、近畿大学文芸学部の設立にあたり教授に就任。93年より同学部長を務め後進の育成に尽力。小説の実作者でありながら理論家でもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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