内容説明
著者はおよそ10年間、「ヘイト本」という現象をめぐって「書店の役割」を自問自答しつづけてきた。書店は「言論のアリーナである」という帰結を見出したと思えたが、葛藤が消えたわけではない。60冊を超える書物から言葉を引きながら、「ヘイト本」をめぐる自問自答の軌跡を披歴。「書店とは何か」―40年以上にわたる葛藤や決意の収斂。書店員という枠を超えた思索の書。
目次
1 明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか
2 ただ嘆くだけで、終わってしまったのではないだろうか
3 その本はなぜ、多くの人を惹きつけるのだろうか
4 「わからない」は、何を意味するのだろうか
5 やはり発端は、「自分探し」ブームだったのだろうか
6 弱者攻撃の動機は、どこから来るのだろうか
7 ヘイトスピーチ・クライムの厳罰化は、なぜ進まないのだろうか
8 書店は、「言論のアリーナ」になりうるのだろうか
著者等紹介
福嶋聡[フクシマアキラ]
書店員。1959年、兵庫県に生まれる。京都大学文学部哲学科を卒業後、1982年2月ジュンク堂書店に入社。仙台店店長、池袋本店副店長などを経て難波店に。2022年2月まで難波店店長をつとめる。学生時代は俳優・演出家として演劇活動に没頭した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しいたけ
72
「知りたい」という思いは人間に生来備わった本能。社会に立ち向かっていく出発点。その言葉に深くうなずきました。ヘイト本を書店の棚から排除するのではなく、何故こういう本があるのか知ることも大切だということにも、ほほう・・と。それ以上は言いません。何だかわからないモヤモヤを言い表す能力が、私にはないようなので。2024/07/03
遊々亭おさる
16
果つる底なき出版不況の真っ只中において良心は痛むが、入荷すればそこそこ売れるヘイト本を書棚から外すことが出来ぬ書店員の嘆き節の本と勘違いしそうなタイトルに悲哀を感じながら手に取るが、あにはからんや、ヘイト本とその本が生まれる要因に真っ向勝負を挑み、尚且つ書店が生き残る術を提示する一冊。差別は隠すと人の目に触れないところで悪意を熟成させる。ヘイト本を書棚から外すことは、臭いものに蓋をして見えなくすること。書店という知のフィールドで本と人が、そして人と人とが議論を重ねることで辿り着く場所。本に宿る力を信じて。2024/06/10
lily
14
ベテラン書店員の著者が業界の衰退に対し、本について討論し語り合う「アリーナとしての書店」を目指し奮闘する。タイトル通りヘイト本を書棚に入れるべきかを中心に様々な持論を展開していくが、とにかく博学の一言。「オウム本」、『絶歌』、『悪魔の詩』、『大嫌韓時代』。出版の自由と知る権利を保障していくことが水準の高い社会につながるという主張には首肯した。名著。「自分の考えを強めるためにする読書は実はあまり重要ではない。むしろ、なぜこいつはこんな考え方をするのか信じられないと言いたい人の書いた本を読むことが勉強になる」2025/03/12
かやは
8
膨大な数の書籍を空間に収める力を持った書店員という存在の大切さを認識させてもらった。著者の決意が、400ページを超え様々な著書を引用しながら表されている。安易な結果に逃げない姿勢。すごい覚悟の持ち主。自分の主張と相手の主張を照らし合わせ、それでもその主張が揺らがないか。ヘイト本を無くしたからってヘイトを抱く人が消えるわけではない。議論の場に立ち会わないと、相手を変化させることもできない。主張だけして満足する人は、現実を変えようとする意思がないのではないか。2024/05/19
チェアー
5
書店という安全地帯に危険な本を置くことの意義を説く。 わたしは基本は筆者の主張に賛同する。言論はできるだけ開かれているべきだ。しかし、見えない傷を負わせるヘイト本を本当に並べてもいいのか、躊躇はある。理屈ではなく、皮膚感覚で本当に正しいのかと震える。 これからも震え続けたい。 2024/05/08