内容説明
2011年の3月、余震と原発が落ち着くまでと思い、小学生の息子と二人で避難をした。仙台から陸路で山形へ。山形から空路で羽田、乗り継いで那覇まで行った。沖縄・石垣島で暮らした日々のエッセイ。増補&新版。
目次
私、運転できません(沖縄へ;モズク採り ほか)
ちゅうくらいの言葉(歩く息子;ポケモンカード ほか)
旅の人、島の人(冬から春へ;島のことば;アンガマの夜;島の披露宴)
読書日記から(『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』;『神様2011』 ほか)
著者等紹介
俵万智[タワラマチ]
1962年大阪生まれ。第一歌集『サラダ記念日』はベストセラー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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buchipanda3
95
エッセイ集。あの震災後、著者は小学生の息子と石垣島へ移住したのだそうだ(現在は島を出ている)。最初は避難のつもり、つまり旅の人の立場だったが、思いのほか馴染んで住むことに。まだ島の人というほど長くはない丁度あいだ位の感覚で日々を綴っている。ホタルを見る時に島の人のあるがままにそっと見せてもらうという言葉が印象的。そこで生活する者の自然への想いを感じた。その言葉の通りに自然と同化する息子の姿への著者の緩やかな眼差し。避難時の彼のノートを経て、島の人となりつつある時に歌われた海の青あおの短歌と写真が心に残る。2024/03/09
*+:。.もも.。:+*
18
歌集だと思って手に取ったらエッセイだった。仙台に住んでいた時に東日本大震災に遭い、とりあえず西へ行こうとたまたま取れたチケットで沖縄に避難し、そういえば友人が石垣島にいたなぁと思って頼ったら地震で不安になっていた息子さんが島の暮らしで落ち着いてきたと即決で引っ越してきたと。なんともきっぷのいいひとだ。島では車が無いと不便らしいけどペーパードライバーの俵さんはご近所にお願いして暮らしてたようで良い感じで甘え上手なひとだんだろうな。大学時代にはウグイス嬢をやっていたと意外な過去も知れた。2025/06/24
いっちゃん
15
私も5年間、末っ子と2人で石垣島で暮らしました。時期がずれているので、俵さんと直接の面識はないのですが、本の中に出てくる方が娘のヴァイオリンの先生でした。島での暮らしを上手に書き記してくれていて、さすが筆で食べている方だなと思いました。西表島のアーティスト池田卓さんはツアーガイドしていただいたり、民宿を経営する卓さんのお父様にイノシン食べさせてもらいました。基地がなければ、また住みたい。2025/02/17
KO
4
バリバリ文系であろう俵万智さんによる、お子さんとの離島生活の記録。私も都会から離島に移り住んだ経験があるので楽しく読めた。観察眼の鋭さと面白さはさすが歌人。2025/08/23
真珠
4
2011年、東日本大震災が起こり、万智さん親子が沖縄の石垣島に移住した3年間のことを書いています。精神的に不安定だった息子のたくみんは、みるみるうちに元気を取り戻す。透明な海、熱帯魚、サンゴ礁、小学生の男の子が夢中にならないわけがない。島での生活がイキイキと描かれている。短歌に虫が出てくるところが面白い。2025/08/17




