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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
耳クソ
14
天皇制を問う講座派は大衆天皇制論において「全歴史の真の汽罐室」としての「市民社会」のヘゲモニー闘争に堕し、労農派の猪俣津南雄を継承した津村喬の天皇論は自然成長性への幻想およびポリコレに回収されるという現状分析を経た上で、「市民社会」へのフェティッシュな欲望を、俗語革命=言文一致と『蒲団』にナショナリズム高揚を促す「愚劣」を見た中村光夫や、「労働力商品化」という「経験的=超越論的二重体」の「無理」を「差異(スキル)」で合理化しようとした柄谷行人を通じて解き明かす。リベラルの「愚劣」が目立つ現代に必須の本。2024/01/07
Z
4
スガ氏の著作の中で、一番分かりやすかった。精神分析用語が使われてないため。近代に風景画、空間を等価に扱う視線、それを漢文調ではなく、文章に写像する装置たる言文一致、それを並行的にとらえる視線は、柄谷行人「日本近代文学の誕生」の仕事だが、それを成立させるための要因として、翻訳家を、商人資本と読み返し、さらに深い日本文学にたいする、理論的な深度を伴った、批評の深さを提示するのだが、さらに面白いのは、労働価値説のおわり、市民社会を理想的にとらえる現在、かつ昔の批評家思想家への批判的考察とモチーフを同じくしている2014/11/01
ミスター
3
絓秀実の著作の中ではきわめて教科書的な本なのにあんまり読まれてないのはかなしい。本書の中で重要なのは講座派的な天皇批判も天皇制を批判しきれていないという指摘ではないか。講座派的な天皇批判は、市民社会論のロジックであって、それは明治維新の変奏に過ぎない。労農派の批判的な読解に基づいた津村の労農派的文学史観をさらに批判した「サボタージュ」の論理こそ我々は待望せねばならない。私見では、サボタージュとはゼネストのことではないか。2019/01/19
罵q
3
ネオリベラリズム以降にいかなる「革命」があり得るのか。労働価値説が失効し格差が拡大し、コモンウェルスが困難となり、技術による「急き立て」が「活動」を困難にさせる際に、いかなる「革命」があり得るのか。講座派市民社会論とハート/ネグリの共通性を指摘しつつ、そのような在り方の不可能性を指摘するあたりなどは流石だと思った。2018/07/03
3
再読。「むしろ、われわれの周辺で言えば、詩人・稲川方人が『彼方へのサボタージュ』と言ってきたことを想起すべきである。『生きさせろ!』と主張する人的資本と、もちろん生きさせようとするところの新自由主義との相補性の『彼方』で賭けられる『サボタージュ』にほかならない。それが同時に、われわれを動員してやまない『技術』の『急き立て』に対するサボタージュを意味することも、言うまでもないだろう。」(p.182-183)2017/05/01