出版社内容情報
「吉備の中山」 概念図
古歌や古典に見える吉備の中山
山麓に二つの一宮
「中山」 の意味
山中・山麓に貴重な遺跡
吉備の中山と石棺
小丸山遺跡と艮御崎神社
おちかさん
辛川と難波氏
難波氏と辛川
天神山古墳と三仏三獣鏡
条里の跡
備前吉備津宮社殿の変遷
備前吉備津宮の末社
御斗代神事と御幡神事
備前吉備津宮のイワクラ
備前吉備津宮とカラス
古代の神宮寺
古代の神力寺
重源と常行堂
備中吉備津宮は式内社 (名神大)
吉備津宮と賀陽氏
吉備津宮と温羅
岩山宮
如法経塔下古墳
細谷川
鳴る釜
新宮
吉備武彦命
新宮の境内
内宮
八徳寺 (高麗寺) と穴観音
吉備中山茶臼山古墳の被葬者
山中・山麓のイワクラ
有木神社に関する資料
有木の不動岩
有鬼氏
巨智麿と針間牛鹿直
有木における祭祀権の所有者
藤原成親の墓・有木の別所など
経塚・天柱岩など
川入の八幡宮 (付) 川入遺跡・庭瀬港
正法寺・庚申山 (付) 太陽祭祀
矢藤治山古墳
境目川・車山古墳 (付) 天神社・天満宮
海獣葡萄鏡
三月堂の鏡と全く同じ文様
尾上の八幡宮・舟溜まり
付記
序 文
岡山日日新聞社 (常務取締役編集局長) 安 藤 喬
「まかね (真金) 吹く」 は吉備の枕詞だが、 その吉備に古代が付けば、 ある種の郷愁とロマンを感じる人も多かろう。 本書が取り上げた 「吉備の中山なかやま」 は、 古代吉備国の中心部に位置する言わばいにしえの■古里の山■であり、 本書はその実像に迫り、 徹底解明を試みた好著である。
筆者の薬師寺氏は知る人ぞ知る古代祭祀研究の第一人者である。 岡山市内の中学・高校で教壇 (社会科) に立たれ、 退職後は岡山県下をはじめ広く各地を採訪行脚し、 文献研究と併せた独自の史眼と洞察力で異彩を放つ本格派である。
表題の 『「吉備の中山」 と古代吉備』 は、 平成十一年七月二十九日から十二年九月八日まで、 週二回のペースで岡山日日新聞に執筆、 掲載していただいた 「吉備の中山考」 を加削されコンパクトにまとめられた労作である。 吉備津神社とその周辺の山、 史遺跡に絞って九十九回にわたり連載、 分析したケースは全国でも初めてかと思う。
執筆をお願いしたきっかけは、 今は亡き在野の研究家、 黒住秀雄氏の引き合わせだった。 薬師寺さんとは、 黒住翁との縁で吉備路の史跡、 祭祀跡を訪ね、 親しくしていたぜかくも注目され数多くの謎に満ちているのか。 独特の薬師寺流の語り調の筆法で、 ぐいぐいと迫ってくる。
「古代吉備」 が、 ひときわ光芒を放ったのは五世紀ごろで、 古代国家が成立する前段階に一大政治勢力として覇を唱えたことは、 造山古墳をはじめとする巨墳の存在が象徴している。 が、 栄光はつかの間で、 大和政権の国造制の下でもろくも崩れ去り、 備前、 備中、 備後に三分割され、 もの言わぬ語り部としての 「吉備の中山」 が残った。
平成の今もなお、 さまざまな形でかつての古代吉備が語られ、 回顧され続ける。 この地に生き、 あるいは遠く離れて暮らす人々にとって吉備は、 かけがえのない懐かしい古里でもある。
薬師寺氏には 『古代日本と海人』 『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』 の著書があるが、 本書は中山の山麓に居を構える同氏の■心の山■とも言うべき 「吉備の中山」 に徹底してこだわった労作である。 古代吉備を理解するには、 まず 「中山を知れ」 である。 その中山を知るための金字塔がこの本である。