目次
何が死の校門を押させたか―校門でビラをまいて見えてきた絶望の構図
第1章 立ち上がらない中高生「往復書簡」(あと何人生徒が死ねば、流れは変わるのか;管理教師を圧殺してやりたい;「遅刻」は悪いことじゃない;少し先を急ぎすぎていないか;評論家的に事件を傍観していないか;一足飛びに物事は変えられない;高塚生の「帰れコール」に「学校共同体」の幻想を見た;「帰れコール」は当然、ていねいに書き直せよ;本音をぶつけることによって、コミュニケーションを始めたい;僕のやり方でやる以外ない;学校変革の運動の質を根本的に改めるべきだ)
第2章 僕たちが立ち上がらなければ―中高生の声(遅刻の罰が死刑だなんて;生徒が動き出さなければ生徒が殺したことになる;中高生でない自分の問題として捉えられるように;校門圧死事件は遠い世界のことなのか;僕が学校へ走らなかったわけ)
第3章 管理主義教育の廃止を(神戸高塚高校生徒会の「アンケート」を読む;いますぐ管理主義教育の廃止を)
第4章 学校の「日常」を支える中高生たちとのたたかい(「高校生らしい」集会;「学校の秩序」は、破壊することにこそ正統性がある)
付 神戸高塚高校校門圧殺事件日誌
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
hiratax
2
はやしたけしと外山恒一の往復書簡が読ませる。外山のラジカルな行動主義と、俯瞰的な視点を持つはやしが、ところどころぶつかる。外山は高校中退の顛末を記した著書でデビューするんだが「学校の体制内反抗」みたいなものには否定的だったりする。読者からの手紙の「頑張ってください」系は無視。「学校つまんないっす。どうしたらいいっすかね」のしゃべりば系にも冷たい。でもこのいらだちはわかる。「自分でなんとかするしかない」、あるいは高校三年間で変わり得る部分は限られていると。ゴミ高校に通っていた記憶がよみがえる。2016/10/04
yoyogi kazuo
1
はやしたけし氏との往復書簡が面白い。20歳にならないこの頃から原理原則を掲げ直接行動を重んじ微温的な改革主義者をディスる外山恒一の姿勢は一貫している。2017/09/30
kean
1
教師の一定数が利口で、生徒の一定数が利口で、そしてあまり管理教育の感がなかった中高に通っていた私は、約一世代上にあたる両著者の言うことはほとんど共感するし、HCN神戸高校生集会の顛末は(誇張があるにしても)できの悪い陳腐な古いドラマのようだなあとしか思わない。今時こんなことありえないよなあと。でも、「普通の公立中高」に通う今の生徒たち、どう思うのだろう。この本を衝撃・実感・反発をもって読むのだろうか。集会司会者に対してこんな奴らいるよなあと思うのだろうか。もしそうであるなら、この本は価値が高いはずだ。2017/09/29
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