出版社内容情報
告解、精神の産科学 西洋キリスト教世界の人びとは、1215年のラテラノ公会議において年1回の「告解」を復活祭の頃にかならずおこなわなければならないと義務づけられた。「痛悔」とは何か、「告白」とは何か、「悔悛」とは何か、「贖罪」「赦免」とは何か。人類史上類例のない、未曾有の民衆的経験となった告解の制度と思想と実践とはいかなるものだったのか。「言葉」による告白がよびおこす疑義と実践の弁証をめぐって、西洋世界が経験したはげしい論争の歴史を包括的に叙述した心性史研究の名著。
ジャン・ドリュモーは、アナール派の第3世代に属する歴史家。1923年、フランスの港町ナントに商人の子として生まれる。サレジオ会経営のコレージュで寄宿生活を送り、ここでカトリック教育を受ける。1943年、エコール・ノルマルに入り、戦後、いくつかのリセの教授、フランス国立科学センター、レンヌ大学、パリ第一大学の教授を経たのち、1975年にコレージュ・ド・フランスの教授に就任、「近代の西洋における宗教的心性史」の講座を担当、現在は名誉教授。邦訳に『恐怖心の歴史』『安心と加護―かつての西洋における安全であるという感情』(新評論)がある。
「著者は、歴史の視座から個と社会との間にエキリーブル(均衡)を見出だそうとしている。彼は『歴史上のある期間における中道』を明らかにしようとしているのだ。……なぜ一見形式的、祭儀的とも見える『告白』思想に、そこまでの拡がりと深さとがあるといえるのか。そこには一つの個の定義に終わらない、西欧という種族の、民族の価値規定があるのではないか。……告白も現実である。許しも現実である。『告白』によって、『許し』によって、生きる現実の意味が、おそろしいほど(想像しえないところまで)深まっている。」(神谷幹夫/図書新聞 2001.4.14号)
「告解という教会の制度が、西欧的な良心や自意識を芽生えさせた一方で、さまざまな抑圧の心理を生んだことは、すでにミシェル・フーコーの『性の歴史』などで明快に語られている。本書も一見すると、告解というカトリック教会がつくった心理的な抑圧装置の歴史とも受け取られかねない。だが、ドリュモーの立場はまったくちがう。結論で明確にされるように、ドリュモーは、カトリック教会が伝承してきた告白と許しのメカニズムのなかに、われわれ人間にとっての普遍的な価値をみいだすからである。最後に著者は、フランスで最近あった象徴的なできごとに言及する。それは、福音書の教えに従い、自分の娘を殺した男を養子にした両親の例である。この両親が体現した許しの精神こそが、『天にかかる虹』だとドリュモーはいう。本書は、西欧精神の基盤にあるカトリック信仰について、深く考えさせる書物である。」(甚野尚志/週刊読書人 2001.3.23号)
内容説明
西洋キリスト教世界の人びとは、1215年のラテラノ公会議において年一回の「告解」を復活祭の頃にかならずおこなわなければならないと義務づけられた。「痛悔」とは何か、「告白」とは何か、「悔悛」とは何か、「贖罪」「赦免」とは何か。人類史上類例のない、未曾有の民衆的経験となった告解の制度と思想と実践とはいかなるものだったのか。「言葉」による告白がよびおこす疑義と実践の弁証をめぐって、西洋世界が経験したはげしい論争の歴史を包括的に叙述した心性史研究の名著。
目次
義務的な一対一の告解の束縛
精神の産科学
心を鎮めるための告解
悔い改めの動機
あなたは「不完全痛悔者」か「痛悔者」か?
不完全痛悔の困難な勝利
赦免の遅延
罪の誘因と罪への回帰
情状と贖罪
罪を重大化しないこと
蓋然説の前史
蓋然説の黄金時代
蓋然説に対する攻撃と厳格主義の高波
聖アルフォンソ・デ・リグオーリ:中庸と寛容