出版社内容情報
【第31回日本翻訳出版文化賞受賞】列島古層の神の系譜~「猟師および山稼ぎ人の山の神」「古栽培民〈焼畑農耕民〉の山の神」「農耕民の山の神」の3つの文化層の生成と展開をはじめて析出し、「山の神」信仰の汎世界的な資料を紹介しながら位置づけた日本民俗学=民族学の画期的論著。原書は、昭和38-39年に独文で発表されたが、この論著のほんとうのすごさをだれも本格的に考えようとしなかった。発表後、30年を経てはじめて完訳が成った。この名著の示唆するものは今、ますます輝きを増している。
ネリー・ナウマンは1922年12月、ドイツバーデン州レーラッハ生まれ。41年、レーラッハの文科ギムナジウム修了。41年、ヴィーン大学入学、日本学・中国学・民族学・民俗学・哲学専攻。岡正雄が創設したヴィーン大学日本学研究所で日本関係の図書に触れる。戦後の46年ヴィーン大学卒業。日本学・中国学・民族学で博士号取得。博士論文は「日本の信仰と習俗における馬」。47年、中国人の留学生と結婚、国民党政権下の上海に旅立つ。夫は上海大学に奉職。3人の子を生み育てる。49年、中国共産党解放軍、上海を支配、10月中華人民共和国成立。54年、外国人として出国を強いられ、3人の娘を連れてドイツに戻る。スイス・バーゼルの公立銅版画美術館、ミュンヘンのバイエルン国立図書館勤務を経て、70年、フライブルク大学で日本学の大学教授資格取得、教授待遇教官となる。70年、フライブルク大学教授となり、85年退職。2000年09月29日、死去。「柳田國男生誕百年記念シンポジウム」に招待されるなど、5回ほど訪日している。日本での翻訳書は、本書の他、論文集『哭きいさちる神スサノオ―生と死の日本神話像』(絶版、近々、増補版を刊行予定)、『久米歌と久米』(いずれも言叢社)がある。
「耽溺も暴走もない、静かなる大著である。『外から〈距離〉を置いて眺めうる者だけができる類いの作業』は、淡々と公正に深く広く綿密に、ユーラシア大陸から南米へ巡る、山の神の系譜を探り出していく。『それはまったく途方もない力仕事にならざるをえない』『無謀な試みである』。…けっして、お手軽ではない。気のきいた解釈で時流に乗る『学者本』の対極にある一冊だ。著者の頑固さに、訳者や版元は辟易しながらも、いつしか肩たたきあって笑っている。著者と著者を支える周囲の心音が、紙から頁をくる指先に伝わる。冬の独り酒に似て、腹の底からじんわりぬくまる本だ。しかも、三十年もののヴィンテージだ。寒い夜に、ちびりちびりとゆっくり読みたい。」(杉浦日向子/毎日新聞 1994.11.21)
「抑えがたい興奮のなかで、わたしは『山の神』を読み終えた。期待通りの、いや、それをはるかに上回る名著であった。おびただしい和・漢・洋の文献資料を博捜しながらの、これはまさに、山の神にかかわる百科全書の試みである。そして、何よりの驚きは、『山の神』が三十年も前に、多くの今日的な課題を先取りし、そればかりか、いくつかの周到かつ大胆な仮説を提示していたことだ。比較民俗学的な手法を駆使し、日本の基層文化を東アジア世界のなかに位置づけようとした本書の先駆性は、疑いえぬことだ。」(赤坂憲雄/産経新聞 1995.01.22)
「ここで山の神は、日本文化、民族の根底にひそむ問題系を暗示するのではないか。その深い古代性と、神としてたどった変遷の意味は、広くユーラシア=環太平洋的な文化圏を射程とする比較神話研究へと導かずにはいない。ナウマンが山の神という問題に遭遇したときは、むしろ山の神の巨大さを確認する絶好の機会でもあった。…少なくともぼくは本書を、一種の昂揚感をもって一気に読み終え、かつまた本書の提示する問題系の大きさにため息をつきながら歴史の彼方への夢想に誘われもした…」(松枝到/図書新聞 1995.02.04号)
「日本学を何故学ぶのかという点に関して、ナウマンは、ヨーロッパからはるかに離れた極東の島国に、人類が共通していだいていた最古の文化が残存しているからだと語っている。」(宮田登/毎日新聞 1989.12.15)
その他の書評:谷川章雄(週刊読書人)・神崎宣武(中日新聞)・林郁(共同通信)など
【ナウマン博士追悼文】
「日本文化の表層の美しさをほめてくれる外国人は多いが、ナウマン先生のようにその深層に秘められた野生をいつくしみ、深く理解してくれた人はごくごくわずかだ。…ナウマン先生は、膨大な数にのぼる多種多様な山の神伝承を渉猟分析して、その伝承群のいちばん古層に、『森の王・獣の王としての山の神』の存在を探り当てた。それはこの列島上に最初に暮らしを展開した狩猟採集民たちの世界観を表現したものであり、そこで山の神は森に生きる生命すべてをつかさどる力の根源であり、人間に狩猟を通して動物たちの身体を贈り与えてくれる存在だと考えられた。…先生の『そうじゃないんですう』を思い起こしながら、私たちは人類という謎に向かって、さらなる探求を進めていこうと思います。日本文化のために、ありがとうございました。」(中沢新一「野生の力『山の神』の発見―ネリー・ナウマンさんを悼む」/産経新聞 2001.3.24。なお、ネリー・ナウマンと中沢新一の対談に「光の衣を織る少女」〈『マリ・クレール』1990.1月号〉がある)
「ナウマンの日本学への情熱は死の直前まで衰えなかった。病床に『古事記』を取り寄せ、耶馬台国の問題を研究し、最後の著作『縄文時代の物質精神文化』の仕上げに没頭していたという。…その論著の大きさと奥行きの深さからわれわれが受ける示唆は計りしれない。」(桧枝陽一郎「構想雄大な日本学―ネリー・ナウマン博士を悼む」/毎日新聞 2001.2.8)
その他の追悼文:朝日新聞、読売新聞(八木橋伸浩)、信濃毎日新聞(小林公明)など。
内容説明
昭和38‐39年に独文で発表され、書名のみ知られながら、ほとんどだれも本格的に取りくみ、論じようとしなかった民俗学=民族学の画期的論著の完訳。猟師および山稼ぎ人の山の神、古栽培民(焼畑農耕民)の山の神、農耕民の山の神の文化層をはじめて析出し、「山の神」信仰の汎世界的な資料を紹介しながら位置づけた幻の名著。
目次
第1部 基礎的観念
第2部 補足的観念
感想・レビュー
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seichan
またたび