出版社内容情報
なぜ人は、こうありたいと請い願うように自分の心身像を形づくるのがむずかしいのか。ドルトが語ろうとする児童精神分析の臨床は、この欲望する主体が自分の身体と結びあう「ちぎり」の秘密、なんども息を吸い着想を広げかさねながら、生きつつある者としての自分の心身像を組み直そうとする子どもちたちの〈生きる力〉と〈いのちの姿〉をみごとに伝えてくれる。②は子どもたちの心身の病理に秘められた真実と、この真実に触れることからはじまる精神分析的臨床の実際を、豊富な事例を通して示した実践篇。
「ドルト女史の考える身体というのは基本的には手のイメージに集約される。…そのつかみ、すてるまでの仕組みは、最初は口と尻としてあらわれる。…うまく手(交流)をもつことができない形で育った子供たちが、いかに…支障をもつか、についてはっとするようなわかりやすい見解をのべている。」(村瀬学/産経新聞 1994.7.17)
「著者のもっとも重視するのは、この身体像の形成が子どもと母親との愛情にみちた言語活動を通してなされると見るところであろう。ことばとは力なのだ。身体とは、このことばの、語という象徴機能が働くところ、他者とのコミュニケーションが可能となるところの場なのである。…子どもの下痢、嘔吐、便秘をはじめとする消化器、呼吸器、循環器の自律神経系の混乱、チック、自閉症、小児神経症、精神病などにみられる身体像の形成不全は、実は子どもと両親とのコミュニケーション、つまり言語伝達活動(ランガージュ)に由来しているのだ。」(松本雅彦/週刊読書人 1994.9.16号)
内容説明
なぜ人は、こうありたいと希求するように自己の心身像を形づくることがむずかしいのか。ドルト女史が示す児童精神分析の臨床は、この欲望する主体がおのれの身体と結びあう「契り」の神秘な秘密、何度も息を吸い、着想を広げかさねながら、生きつつある者としての契りを更新する子どもの「いのちの像」をみごとに伝えてくれる。
目次
第3部 身体像の病理と精神分析的臨床(身体像が変形する初期の危険性;口唇期〈歩行および発話以前の時期〉―離乳の失敗;口唇期、肛門期、およびその後の一次去勢までの時期;潜在期における身体像の病理〈エディプス・コンプレックスが適宜解消された後の時期〉;ヒステリーと心身症;負債と相続―親から子に伝わる苦しみ 想像上の苦しみから現実の苦しみへ;身体像の障害の臨床例一覧)