目次
忠久誕生の年
丹後内侍―此企氏であつたか、忠久の母であつたか
丹後局と丹後内侍
惟宗廣言―廣言と忠久、伝説の由来、伝説の活力
源頼朝、畠山重忠、近衛基通―頼朝伝説の漸成、此説を疑ふもの、改めるもの、政子の嫉妬、重忠との関係、基通との関係、基通に重用された理、頼朝に重用された理、頼朝説の動機
高倉宮以仁王―説の根拠、説の影響と責任
結論―伝説の地盤、伝説の四体系四時階、近世改造の例、諸点の史値の評価、史学的価値と現実、史学的改造
著者等紹介
朝河貫一[アサカワカンイチ]
1873~1948。二本松藩(現在の福島県二本松市)の旧藩士に生まれ、東京専門学校(現早稲田大学)卒業後1895年、ダートマス大学に留学。1902年、エール大学大学院で歴史学の博士号を取得。エール大学教授として日本文明史などの授業を行なう。日欧封建制研究で業績をあげ、特に「入来文書」(The Documents of Iriki)は世界的に著名(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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