内容説明
老いが身体の自由を奪うのに従って、命の炎を掻きたてるようにして、持てる人間性のすべてを自分の顔に託す。ポーズを取る余裕もなく曝け出された被写体の真実を、カメラは淡々と追っていく。認知症の母親と庭の一隅をセットにして、日々撮り重ねた3年2ヶ月の記録。
著者等紹介
山崎弘義[ヤマザキヒロヨシ]
1956年4月埼玉県に生まれる。1980年3月慶應義塾大学文学部哲学科卒。1980年4月市役所に入り広報課配属、初めて一眼レフを手にする。1984年路上スナップする山内道雄氏に衝撃を受け写真を志す。1985年4月東京写真専門学校報道写真科2部入学(1987年卒)。1986年1月フォトセッション’86に加入、森山大道氏に師事。現在、日本写真芸術専門学校非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
チェアー
6
自然は人の生き死にに関係なく成長し、衰え、また成長する。人も繰り返しを生きているのはないか。「わたし」が死んでも、別の「わたし」が生まれてくる。それが繰り返され、ヒトとしてやがては滅んでいく。 母と庭の写真集。2021/06/06
takao
2
ふむ2023/11/17
tuppo
2
2003年6月8日(日)庭の槇が突然枯れてしまった。近所の人に剪定が良くなかったのではないかと言われたが。/淡々としているし必ずしも日記とポートレートと庭とに繋がりがあるわけじゃないんだけど根っこのところで通じてるところがあるのかもなあ。日々生きて死んで姿を変えていく庭と較べて変わらないように見える母と日記と。三位一体。2023/01/13
すいれん
2
認知症の母が亡くなるまでのポートレイト。母の写真と庭の草木。介護手控え。介護する側、される側。慣れていく側、わからなくなっていく側。徐々に弱っていく母親の写真を逆からたどってみる。分岐点はわかるけど、わかったところでどうしようもなく。最後の雪の庭は寂しいけれどほっとした。けっこう、精神力をへずられるけど、読んでよかった。2020/01/09
hahaha
0
タイトルの通り、認知症の母親と、家の庭を撮り続けた写真集。病に蝕まれていく母の様子と、その介護に疲れ、困惑する様子も写真の隣にテキストとして添えられている。その文章を読みながら、老婆の笑顔や、辛そうな顔、ぼんやりした顔を見ると、生きること老いることの残酷さや悲しさが、じんわりと伝わってくる。そして、そうした人間の悲喜こもごもの姿と対照的に、庭は季節を経ながら、ただそこにある。人と、それを取り巻いている世界。生きて死にゆくことを意識してしまう僕たちのなんと悲しくて美しいことか。2022/11/17