出版社内容情報
明治24(1891)年の春、一つの投石をめぐって、尋常中学修猷館と福岡歩兵二十四連隊が衝突。この出来事は当時、中央政界をも巻き込んで、「立憲主義」と「天皇の軍隊」の相克とも言える問題へと発展した。その後時勢は軍国主義へと流れ、正史から“抹殺”された投石事件の真相に迫る。第二部は、福岡藩の藩校を源流とし、創設(1885)時より全国でも稀な英語正則授業を行っていた修猷館の幕末・明治期を明らかにする。
まえがき
第一部 中学校と軍隊の衝突:修猷館投石事件と「立憲主義違反」問題
第一章 投石事件の記録と記憶
第二章 中学校が軍隊の支配下に
第三章 事件の展開と波紋
第四章 黒田家と修猷学会の動向
第五章 尾崎館長の学校復帰
第六章 投石事件その後
終章 大日本帝国憲法と投石事件
資料
第二部 儒学から英学へ:原書教科書を正則英語で授業した明治の修猷館
第一章 幕末福岡藩の対外政策
第二章 廃藩置県と福岡の英語熱
第三章 藤雲館は修猷館の前身か
第四章 英語専修修猷館の興亡
第五章 その後の修猷館
修猷館略年表
参考文献
あとがき
水崎 雄文[ミズサキ タケフミ]
著・文・その他
内容説明
福岡藩の藩校を源流とし、創設(一八八五)時より全国でも稀な英語正則授業を行っていた修猷館。明治二十四(一八九一)年の春、一つの投石をめぐって、尋常中学修猷館と福岡歩兵第二十四連隊が衝突、中央政界をも巻き込んで、「立憲主義」と「天皇の軍隊」の相克とも言える問題へと発展した。かつて『修猷館二百年史』の編纂に携わった著者が、正史から“抹殺”されてきた投石事件の真相に迫る。
目次
第1部 中学校と軍隊の衝突―修猷館投石事件と「立憲主義違反」問題(投石事件の記録と記憶;中学校が軍隊の支配下に;事件の展開と波紋;黒田家と修猷学会の動向;尾崎館長の学校復帰;投石事件その後;大日本帝国憲法と投石事件)
第2部 儒学から英学へ―原書教科書を正則英語で授業した明治の修猷館(幕末福岡藩の対外政策;廃藩置県と福岡の英語熱;藤雲館は修猷館の前身か;英語専修修猷館の興亡;その後の修猷館)
著者等紹介
水崎雄文[ミズサキタケフミ]
1936年、朝鮮京城府(韓国ソウル市)に生まれる。西南学院中学校、修猷館高等学校卒業。九州大学大学院修士課程修了。在学中は九州中世史専攻。その後福岡県立4高校の教諭を歴任、在任中、『修猷館二百年史』(修猷館二百年記念事業委員会発行、1985年)編著に携わり、1997年退職後、校旗研究に専念(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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