内容説明
朝鮮通信使との交流、「金印」の鑑定、そして福岡藩西学問所甘棠館の館長を経て、長子昭陽とともに亀門学を創始し多くの人材を育成した亀井南冥。市井に生き、幅広い交流を重ね、学問を貫いたその生涯を、分かりやすいかたちで伝える。
目次
1 生い立ちと学問形成期
2 学問の確立期
3 遊学の時期とその成果
4 交友関係
5 藩儒への抜擢と学問所の設立
6 金印と『金印弁』
7 南冥への加増、そして罷免(廃黜)
8 罷免とその後
9 晩年、そして死
10 南冥の著作をめぐって
著者等紹介
河村敬一[カワムラケイイチ]
1952年福岡市生まれ。現在、福岡市立福翔高等学校教諭、西南学院大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きさらぎ
4
彼に学んだ広瀬淡窓による南冥の人物評は「天性、人の才を愛し、長所を見て短所を見ず、一善の者も愛し、不品行の者も愛し、人を発憤させる事に長ず」が、「伸びる事は得意だが屈する事に弱く、物には勝てるが己れに勝てない」「詩文に優れるが学は広くない」というもの。豪放磊落な南冥は、京の儒者に「京の儒者と違う虎のような人」と言われたらしい。町医者から藩儒に取り立てられ藩校を主宰するまでになったが、後に免じられ長い逼塞の後に狂疾気味になり72歳で原因不明の出火で焼死するという生涯を見ると、的確な評なのではという気がする。2014/07/06