内容説明
原爆で父、姉、弟、妹を亡くし、母とともにゼロから再出発した中沢少年が、母の死をきっかけに、戦争責任と原爆の問題に向き合った。実体験をもとに『はだしのゲン』を生み出した漫画家の、不屈の人生。
目次
第1章 母の死
第2章 ピカドン
第3章 残酷
第4章 生きる
第5章 出会い
第6章 上京
第7章 『はだしのゲン』誕生
第8章 肺がん
著者等紹介
中沢啓治[ナカザワケイジ]
1939年広島市生まれ。45年8月6日、小学1年生のときに被爆。原爆で父、姉、弟、妹を亡くす。61年に単身上京し、漫画家のアシスタントを始め、7年後に独立。66年の母の死をきっかけに初めて原爆をテーマにした漫画『黒い雨にうたれて』をかき、68年に発表。73年から『週刊少年ジャンプ』で『はだしのゲン』の連載を開始し、以降、掲載誌を3誌変えながら、85年に連載完結。子どもたちや保護者、教育関係者から圧倒的な支持を受ける。2009年、白内障により視力が衰えたため、漫画家を引退(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
やすらぎ
216
あの日のことを忘れたいと思っていたのに。ぼくは6歳だった。街路樹と塀の隙間に守られて生きのびた。27歳になって漫画に描きたい、そう思うようになった。あの場にいた者しか残せないものを。なぜ平和を願うのか改めて考える必要がある。人は忘れてしまうもの。記憶に蓋をしてしまうもの。残酷。争えば必ず深い痛みが残る。人は過去を反省し未来を想像できるはずである。現実の悲惨さに涙が止まらない。中沢啓治さんの思いはゲンにのせて本の中で語り継がれていく。コメント欄に作者の言葉を記します。長いですが、よろしければお読みください。2023/08/05
のっち♬
111
肺癌を患い死を覚悟した著者が語る来歴。『自伝』との違いは実体験や見聞から生まれた『はだしのゲン』の該当シーンを挿入する構成で、創作ドキュメンタリーの様相も兼ねる。また、苛烈な怒りは控えめになり、断筆と治療による気力減退を感じる。内輪揉めや一峰への文句は伏せられ、自伝としての密度は落ちる。作品に通底する力強いスリルや明るさは、絶えず原爆症と死の不安に苛まれた「一寸先は、闇」の現実主義や根性漫画への反感に裏付けられていた。3部を描けないのは心残りでも、ゲンが世界まで駆け回る反響を見れたのは漫画家冥利に尽きる。2023/08/20
みゃーこ
91
戦争と原爆というものが、ただドンパチやっているだけでなく、人間の心の奥底にどんなものを植え付けて行ったかということに触れた「はだしのゲン」は名作中の名作。著者の自伝と知りあらためて背筋が凍りつく体験をしっかりと後世に残してくれたその「何か」が「母を失った」怒りからのものだと知って涙があふれる。壮絶な体験記録を読んでいる中で何度もその「人間の心の奥底」に触れる場面を想像するたびに暮雨だの涙で本が濡れた。地獄の中を生き残り私たちの中で生き残り続けていくゲンは忘れたころに蘇り平和を永久に語りかける。2013/11/01
yomineko@ヴィタリにゃん
81
被爆者ならではの辛辣な言葉が胸に響く。何故か原爆投下の時だけ空襲警報が鳴らなかったらしい。裏に何かありそうで怖い。人間は極限状態に置かれるときれいごとはさておき、弱い者いじめなど残酷そのものの生き物になる。米国訪問時、エノラゲイがピカピカに磨かれて誇らしげに展示されているのを見て、はらわたが煮えくり返る程怒りがこみ上げたらしい。何も反省していない。真珠湾を忘れるなと原爆投下はもうレベルが違う。確かに戦争を仕掛けたのは日本、それは悪い。しかしここまで苦しめるのかと著者は言う。私もそう思う。戦争大反対!2022/03/17
へくとぱすかる
76
中沢さんの亡くなった翌日が初版の発行日になっている。まさにこれが、原爆体験を後世に伝えようとした、著者の最後の本だった。「はだしのゲン」は有名だが、これが世に出るまでには大変な紆余曲折があり、『少年ジャンプ』の編集者の中で、ただひとり編集長だけが理解を示したことで、連載が続けられたとか。本書はもちろん被爆体験を中心に述べられている。当事者だけにリアルな「はだしのゲン」の物語は、恐しい光景をも描いているが、これを読み続けることが、戦争を軽視する風潮に流されずに正しい歴史を伝えていくことになるのだと思う。2019/12/23
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