内容説明
宮台真司×大澤真幸、“10年代の世界”へ向けて初対談、ついに実現。
目次
対談 正義は可能か?(宮台真司×大澤真幸)(善と正義の違い;「市場か再分配か」は遅れた議論;「みんな」は本当は「みんなで」ではない;沖縄の自己決定的な自立;資本主義の持続可能性 ほか)
論文 二つのミメーシス―宮台真司の論を手がかりにして(感染的模倣;「理想自我」と「自我理想」;利他的行為の倒錯;もうひとつのミメーシス)
著者等紹介
大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年生まれ。社会学博士。『THINKING 「O」』主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
24
社会をつくっていく利他性をどうやって求めていくかに関して、ふたりの対談で言及されたのが「感染」です。それには感染する「スゴイ人」の登場が不可欠なのか、それとも、思わずそうしてしまう非日常的な時空の開かれはどうあるべきなのか、という投げ掛けで対談は終わっています。対談を受けて大澤は、真に「スゴイ人」とは、理想自我と第三者の審級としての他者の眼が重なるような他者なのではないかと。他方、キリストに代表される普遍性が特異性へと下降することこそ、自己顕示にならない真の利他性といえるのではないかと考察を深めています。2018/08/31
takizawa
5
宮台先生と大澤先生が朝カルで行った対談が元になっている本。弱い個人をグローバルな資本主義の嵐に剥き出しにしないためには包摂的な大きな社会が必要。でも大きな社会ってどうやって作るの?という疑問に対してヒントになりそうな議論をしている。キーワードは模倣的感染。感染動機を誘発する利他的な人は資本主義の論理では説明できないような行動をしている(絶対に得にはならないだろう。でもあの人みたいになりたい)。この不合理さに市場主義を乗り越える鍵があるんじゃないか,と。2011/01/31
liverpool0810
4
再読。今回個人の行動指針のヒントを求めて読み直しての気付きとしては、コミュニタリアンとリバタリアンを「近接性」というキーワードにおいて共通するとして括っているが、この「近接性」という概念は想定以上に、これからは大事かもしれない(近接的な存在は血縁関係など物理的な距離が近い他者に限らない)。この種の感受性は、これからマクロには(経済的にも、社会的にも)日本が衰退していくことを考えると(あるいは仮定すると)、当然、抽象的には国家に頼れる度合いは相対的に減少するため個人レベルでは(とりわけ若者は)重要になりそう2011/01/16
じょに
2
何度か立ち戻っていい2010/11/11
井上岳一
0
宮台真司と大澤真幸の対話。最近の宮台のキーワードである「ミメーシス(感染)」についての良い解説書になっている。しかし、二人とも相当に衒学的で、ちょっと鼻につくのが残念。男のライバル同士の対話って、どうしてもこうなってしまうのだろね。2012/01/04
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