目次
第1章 箱根駅伝の伝統と戦略(箱根ほどタフなコースはない;時代を超えたコース ほか)
第2章 じっと我慢の往路5区間(1区=木許史博(大分東明高出)、区間9位・総合9位
2区=板倉克宜(東亜学園高出)、区間13位・総合17位 ほか)
第3章 絵に描いたような逆転の軌跡(6区=北条泰弘(作新学院高出)、区間14位・総合7位
7区=綿引一貴(太田一高出)、区間3位・総合5位 ほか)
第4章 駅伝との出会い(発端は祖母の喜んだ顔;小出義雄監督との出会い ほか)
第5章 営業課長の出向監督(働いて走ること;そもそもは年始挨拶 ほか)
著者等紹介
岡田正裕[オカダマサヒロ]
昭和20年7月27日、熊本県出身。鎮西高校から昭和39年に亜細亜大学入学。大学3年で、主将として箱根駅伝初出場。昭和44年、地元熊本の醸造会社フンドーダイに就職、営業畑を歩む傍ら陸上競技を続ける。昭和61年、スーパーマーケット、ニコニコドーに出向、監督として女子陸上部を旗揚げ。松野明美らを指導して全国に女子駅伝ブームを巻き起こし、松野は63年のソウル・オリンピック、王明霞はアトランタ・オリンピック代表に。平成11年、母校監督に就任。同14年に箱根予選会を突破、16年に3位、17年に7位を経て18年に初優勝を果たした。ヨネックススポーツ振興財団・財団賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Humbaba
2
全員を同時に試合で絶好調にするというのは、現実的には不可能である。そのために、出られる選手は10人だけであってももっと多くの選手を競わせておく。他を圧倒するほどの天才がいなくても、正しい、効果的な練習によって高いレベルの選手を多数育て上げる。それによって、個としては一番でなくとも集団としての勝利が得られることもある。2014/09/05
Humbaba
1
自分たちがこれまでやってきたことを信じて練習通りの成果を発揮する。練習でできたことを本番でも行うというのは、思っているよりもずっと難しいことである。技術的にはできたとしても、コンディションが違い何よりも精神的なプレッシャーが違う。また、自分の失敗が自分に返ってくるというのであればともかく、それに加えて大切な仲間にも影響するとなれば、通常通りの精神状態でいるというのは不可能である。2024/12/27
あんく
0
駅伝というチームで走ることを、監督という目線で見るとこうなるのかと、最後まで面白く読んだ。チームカラーがあり、そこそこで考え方は違うのだろうが、箱根駅伝というもののとらえ方や、走ること、選手を育てるということなどなど、見るだけでは分からないことが満載。非常に単純な走るということに、たくさんの人が情熱を注ぐのが、分かるような気がする。2012/01/14
まな坊
0
箱根駅伝、山あり谷ありの道。あらゆることが人生と置き換えられるなぁ~と感じました。亜細亜大学の建学の精神は『自助協力』。『他に頼らずに力を合わせる』ひとりひとりが任された区間を全力で走る。『助け合う』これらは、すべて個人個人が全力を出し合ってこそ成り立つ。『協力』という言葉。『他に頼る』とは違うということ。『助け合う』とは50と50の力を合わせて100の力を引き出すことではないということ!100と100の力を合わせて限界以上の力を引き出すということこそが『助け合う』『支え合う』『協力』するということ2011/12/04




