内容説明
日雇い労働者のまち福祉のまち観光のまち…このまちから学ぶ生き抜くための方法。
目次
釜ヶ崎という地名
建設日雇い労働者になる
釜ヶ崎の日雇い労働者はどのように働いているのか
釜ヶ崎の住まい
釜ヶ崎の歴史はこうして始まった
ドヤと日雇い労働者の生活
日雇い労働者のまちの五〇年
騒乱のまち、釜ヶ崎
失業の嵐のなかで
釜ヶ崎の「生きづらさ」と宗教
変わりゆくまちと福祉の揺らぎ
外国人旅行者が集い憩うまち釜ヶ崎へ
著者等紹介
原口剛[ハラグチタケシ]
1976年生。大阪市立大学都市研究プラザ研究員。専門は都市社会地理学
稲田七海[イナダナナミ]
1975年生。大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員。専門は福祉地理学
白波瀬達也[シラハセタツヤ]
1979年生。大阪市立大学都市研究プラザGCOE特別研究員。社会学博士。専門は宗教社会学、福祉社会学。研究活動に従事するかたわら、2007年より釜ヶ崎の地域福祉施設「西成市民館」でソーシャルワーカーとしても活動する
平川隆啓[ヒラカワタカアキ]
1979年生。2008年よりココルームスタッフ、2009年より大阪市立大学都市研究プラザGCOE特別研究員。建築や地理に関心を持ち、まちづくリにかかわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
鷺@みんさー
56
多角的に釜ヶ崎を解説した論文アンソロジーと言うべきか。江戸時代に遡り、釜ヶ崎の地名が、長町(現・日本橋)のコレラ流行をきっかけに木賃宿が行政によって、田んぼしかなかったこの地に移住させられ、所謂流れ者が集まる地、また、飛田の刑場とも相俟って忌避されがちな土壌となり、明治になって勧業博覧会のために更に「スラム」を市街地へ追いやり、戦後の焼け野原の復興、日雇い労働者に対する蔑視や警察による扱いの酷さから、第一次釜ヶ崎暴動が起こり、政府の対策によって「あいりん」という呼び名が生まれる→2019/01/25
さとむ
7
写真やグラフ、脚注を多用、レイアウトにも工夫があり、このような丁寧な本づくりをされた方々に感服。そのやわらかなまなざしは、継続的かつ正面から釜ヶ崎の人々に向き合ってきたことをうかがわせる。高齢化したかつての日雇い労働者と、彼らを支える福祉・ボランティア関係者、そして外国人のバックパッカーを受け入れ新しい街づくりに努める人たちが共存する今の釜ヶ崎は、顕在化しつつある無縁社会をやわらげる一つのモデルを示しているのではと思う。2014/01/24
ERNESTO
6
カマの歴史、そこに住む労働者の生活、簡易宿泊所であるドヤの中、炊き出しなどをしているキリスト教、生活保護利用と建設が進む福祉アパートで高齢の住民の住処がどう変わったか、太子交差点東側の外国人旅行者用安宿化と旅行者を取り込む仕組み、参考映画・書籍など、これを読めばカマに行かなくともカマの生活が分かるようになっている。 私は、夏祭りや越冬闘争、その都度行われる釜ツアーや特別清掃事業体験に参加した程度で、住んでいるわけではないが、懐かしい写真やガイドをして頂いた水野さんや、 2013/10/03
はやし
4
あいりんに実際に行って、時代の流れから切り離されたような独特な空間に驚いた。あいりんの日雇いの実態、ドヤ街の出で立ちを知りたい人におすすめ。2015/03/04
まーなん
4
全ては生きるため。想像を絶するほど過酷な労働にただひたすらしがみつく。雇い主に散々な扱いを受けても、誇りを持つおっちゃん。「新幹線まだ乗ったことないけど、見るたんびに「ああ、あの電力で動いてんねんな」思って」との証言で言葉に詰まった。2013/10/25
-
- 和書
- くまのぼりす (第2刷)