出版社内容情報
出来事は、事故、リスク、社会現象として、国家や企業、マスメディアによって回収され、無力化されてきた。人々の生に寄生するこのコントロール社会によって弛緩させられないために、さまざまな社会運動を一人ひとりが開始することを呼びかける。
現代は、工場が製品を生産する時代ではなく、企業が「世界」を生産する時代である。この変化にともない、かつて労働運動が依拠してきた「労働」は、資本からも国家からも見捨てられ、いまやコントロールの手段としての「雇用」に取って代わられた。人々の創造性(脳の協働)をたえず捕獲しつづけるこの「知-政治」を、いかにして解体するか?
本書は、現代の資本主義と労働運動に起こった深い変容を描きだすとともに、不安定生活者による社会運動をつうじて、新たな労働論、コミュニケーション論を提唱する意欲作である。イタリア生まれの新鋭の思想家、初の邦訳。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roughfractus02
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現代にユクスキュルの環世界的「この私」を称揚すれば、知覚が作動する最中でも外にアクセスしていることを語らずに済む。が、ナノ化しつつある機械とバーチャルな次元でアクセスする特異な「この私」はすでにサイボーグであり、社会に否応なく開かれている。タルドに倣う著者はライプニッツのモナドの窓を開く。論理的・文学的な可能世界もすでにITとBT(バイオテクノロジー)によって「コントロール社会」に組み込まれた効果なのだ。特異性の窓は、主体中心のマルクス的労働では捉えられない出来事と政治のハイブリッドな「協働」を示唆する。2017/02/15