内容説明
「僕の父は…僧侶でした。僕は…そういう環境から強く影響を受けたんです」。村上自身がかつてこう語ったにもかかわらず、仏教と村上作品の関係は論じられてこなかった。本書はこの点を初めて本格的に考察。仏教研究者である著者が、『風の歌を聴け』から『多崎つくる』までの主要作品に沿って、村上文学の根底に常に仏教的世界観があることを明確に示す。“仏教”で読み解く画期的・村上春樹論!
目次
第1部(村上春樹と「何かが終わってしまった症候群」;『風の歌を聴け』の煩悩即菩提;「唯名論者」村上春樹の果敢な戦いとは;村上春樹にみる「庶民的な」無常感覚)
第2部(村上春樹、悪魔祓いのコミットメントを始める;村上春樹をとらえる「古い夢」の世界;村上春樹を閉じこめる「空」の輪の秘密)
第3部(『ねじまき鳥クロニクル』と『豊饒の海』の間;『海辺のカフカ』―鏡の世界のゴーストたち;「均衡そのものが善」と『1Q84』の教祖は語る;『1Q84』のゴージャスで支離滅裂な世界;色彩を持たない多崎つくると、甘美なる涅槃への旅路)
著者等紹介
平野純[ヒラノジュン]
作家・仏教研究家。1953年東京生まれ。東北大学法学部卒。1982年「日曜日には愛の胡瓜を」で第19回文藝賞受賞。作家活動と並行してパーリ語、サンスクリット語等を習得し、仏教(特に仏教理論と現代思想の関わり)を研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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あっきー
17
✴3 再読、世界の終わりのラストで A Hard Rains Gonna Fall 激しい雨を聞くところがあると書いてあった、ノーベル賞でパティスミスが歌っているのを聞いてディランが好きになった、今回歌と訳詞を一緒に聞き直したらやっぱり良かった、再読して理解が進んだし世界の終わりと般若心経を再読したくなった2020/02/02
あっきー
16
✴3 世界の終わりは般若心経の空性論、ねじまき鳥クロニクルは唯識論、海辺のカフカは世界の終わりを引き継いでいて華厳経の要素がある、1Q84は密教、色彩を持たない多崎つくるは原点に戻り空性論の要素があるらしい、テーマになっているお経の本を読んでから村上を読んだら面白そうだ、まあ相田みつをは興醒め+完無視だが2020/01/23
takeapple
16
平野純ならではの切り口で、村上春樹の文学論と仏教入門書の要素を兼ね備えた文芸批評となっている。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読んだ時から感じていた仏教の世界観が全作品に言えるとは、しかもインド仏教史をなぞっているとはびっくりだ!『海辺のカフカ』も『ねじまき鳥クロニクル』確かに仏教だし『1Q84』も仏教だ!でもこれってMacintosh やiPhoneがZENだというのとどう違うのだろう?続編に進もう。2019/01/25
ユウスケ
4
なかなかに大きく出ているタイトルと主題ですが「世界の作家・村上春樹は実は仏教から影響を受けている!さああなたも仏教を知ろう!」なんて啓蒙する気持ちは感じられず、ただこの主題に向けて著者の知識を組み立てて持論を展開することに徹している印象はよかったです。ただ相田みつををやたらと絡ませてくるのはどうだろうか、と思ったところはありますが、この切り口は見たことがないので新鮮な印象でした。2022/11/10
田中峰和
2
本人は売れない作家だが、本業が仏教研究のせいか、村上作品を仏教とこじつけて語るので難解なうえ、独りよがりにしか思えない。村上作品の世界観の変遷はインド仏教の変遷をそのままなぞるものになっているそうだが、本人はそんな意識は全くないだろう。村上が僧侶の息子なのは有名な話だが、ここまで関連付けされては本人も迷惑なはず。さらに独善的な思い込みは激しく、禅に造詣が深かった相田みつを作品との類似性まで指摘する。「村上春樹とは、否定を通しての相田みつを」だと断言。否定したら、類似性はないだろうに。自己矛盾に陥っている。2016/09/16