内容説明
中原中也、堀辰雄、伊東静雄などと同時代を生きた、夭折の抒情詩人・立原道造の遺稿「長崎ノート」。「愛と詩の再生」を願い彷徨する魂を文と写真でたどる迫真の文学紀行。詩篇、書簡付き。
目次
1 「長崎ノート」の旅(のちのおもひに;旅人の夜の歌;汚れつちまつた悲しみに;石柱の歌 ほか)
2 詩篇(のちのおもひに;爽やかな五月に;旅人の夜の歌 FR¨AULEIN A.MUROHU GEWIDMET;朝に ほか)
3 書簡
著者等紹介
田代俊一郎[タシロシュンイチロウ]
福岡県北九州市生まれ。現在、西日本新聞社総合プロジェクト室長
井手高太郎[イデコウタロウ]
1969年東京中野区生まれ。宮大工の祖父とデザイナーの父の影響をうけ物作りとデザインに興味を持つ。大工として8年を費やしその後フライフィッシング専用のバンブーロッドメーカー六角竹竿高太郎を設立し16年目を迎える。現在、写真及び執筆活動にも精力を注ぐ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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紫羊
18
いくつかの詩を今も暗唱できたことに自分でも驚いた。立原道造や彼の作品が懐かしいというより、それらに夢中だった自分自身が懐かしい。2015/07/15
きょ
4
先日、軽井沢高原文庫での立原道造展に行って購入。建築家であり詩人の人生と旅、詩の軌跡に迫るなかなか興味深い本である。書店ではあまり見かけない…24歳で夭折した天才は、繊細でロマンチストで、美しいままそこにいる。あまりに人間離れしているような印象が、私にはある。展示の中には直筆のものが多数あり、その几帳面な文字にも驚いた。いつも何かを夢見て、現実との乖離にきっと密かに悩み、そのまま召されてしまった。最期は「五月の風邪をゼリーにして持ってきてください」美しすぎる。浦和の「ヒヤシンスハウス」にまた行きたい。2024/09/07
スエ
2
再読。東京で生まれ育った詩人は、なぜ結核の体に鞭打って長崎を目指したのか。漂泊、彷徨、そして夭逝。「南国の空青けれど/涙あふれて やまず/道なかばにして 道を失ひしとき/ふるさと とほく あらはれぬ」2015/03/16
スエ
1
風景写真と合わせて詩人の人生と最後の旅を追いかける評伝。死の原因ともなった長崎への旅でかぶっていた帽子が、中原中也の遺品であるという説があるらしい。反目していた2人なのでそんなことはまずないだろうけど、もし事実だったとしたら…と思うと楽しい。2014/07/05