内容説明
1977‐1979年を過剰と速度で駆け抜けた唯一無二のロック・バンド、ガセネタというデュナミス。
著者等紹介
大里俊晴[オオサトトシハル]
1958年2月5日新潟生まれ。1997年から2009年まで、横浜国立大学教育人間科学部助教授、教授。2009年11月17日死去。1970年代後半に「ガセネタ」のベーシスト、1980年代前半に「タコ」のギタスリト、その他セッションに参加。早稲田大学文学部を卒業後、1987年から1993年まで、パリ第8大学でダニエル・シャルルに師事し、現代音楽の美学を学ぶ。帰国後、音楽評論、ラジオ番組で、「マイナー音楽」をとりあげる。また、武蔵野美術大学、横浜国立大学、早稲田大学で現代音楽論、マンガ論、映像論などの講義を担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ばんだねいっぺい
6
ガセネタの荒野2016/05/31
akochs510
2
何度でも読む。世界中の本をどれだけ集めても、この本に敵うものは一冊もないとさえ思う。知らないことのほうが断然多いのに、そういう確信を持っている。絶対的なバイブル。2019/08/04
にいざき
2
文学にしてもドキュメンタリーにしても中途半端。文学にかぶれてしまったせいで、妙に鼻につく文章なのが残念。それと、自画自賛がすごい。俺達は伝説なバンドだったんだ、というような感じを出しすぎている。いまいち。作ったような薄汚さで、実は綺麗なものばかりだというような感じ。作り物感あって、私は受け付けなかった。自画自賛をやめてドキュメンタリーに徹するべきだったと思う。2012/4/26読了、私的評価4/102012/04/26
もろろろ
2
創作や生活、あるいは「パンク」だとか「現代音楽」だとかを当たり前だと思い反省もなく生きている人間に対して、反抗したり断絶を感じ、とにかく走ったバンドが昔いて。そういう物語のあらゆる反復を嫌い、意識の流れを速度によって、存在の奇妙さを過剰によって音楽にし、どのセッションも命がけで差異を生み出していく。でも、そもそも身体や精神そのものがクリシェで、構造的にも(極めてクリシェ的な)フィナーレが必ず現れてしまう。命がけのセッションはそこへの戦いであり、ゆえに常に敗北であるが、それを命がけで引き受けている。2011/07/24
シミバチョフ
1
『AA』の上映会(新潟)で、大里さんの最後のライブを観た。間章、そして大里さんの故郷でもある新潟での上映会ということで体調の無理を押しての演奏だった。その姿には覚悟があった。フィードバックノイズが劇場に充満し、スクリーンには大里さんの撮影した写真がスライドされていた。まるで一編の映画を観るようだった、この光景を、僕は一生忘れない。2011/09/26