暴力論叢書
自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判

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  • サイズ B6判/ページ数 283p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784901477420
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

内容説明

他者との関わり合いにおいて主体は形作られ、他者への責任=応答可能性において主体は自らを変革する。倫理と暴力の危険な癒着に抗して「私」と「あなた」を結び直す、希望の哲学。

目次

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判
第1章 自分自身の説明(呼びかけの光景;フーコー的主体;ポスト・ヘーゲル的問い;「あなたは誰か」)
第2章 倫理的暴力に抗して(判断の限界;精神分析;「私」と「あなた」)
第3章 責任=応答可能性(ラプランシュとレヴィナス―他者の優位;人間になることをめぐるアドルノ;彼自身を批判的に説明するフーコー)

著者等紹介

バトラー,ジュディス[バトラー,ジュディス][Butler,Judith]
カリフォルニア大学バークレー校、修辞学・比較文学科教授

佐藤嘉幸[サトウヨシユキ]
京都大学大学院経済学研究科博士課程修了後、パリ第十大学大学院にて博士号(哲学)取得。現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師

清水知子[シミズトモコ]
筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科修了。博士(文学)。現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

透馬なごみ

8
読んでてもよく理解できなかったのが本音。難しすぎたのか、まだ読むべき時期じゃなかったのか。何を言ってるのかさっぱりで、内容のほとんどを覚えていません。それなのに読み切った自分に拍手。1回目は理解できなかったので、もう少し勉強してからもう一度読もうかなって思う。ジェンダー系や、哲学系を色々読んでからの方が良かったかもしれない。2015/05/01

ヒナコ

5
私についての全てを私自身が説明できない。こうした状況はもどかしく、いつも人間を苦しめる。なぜ私は自分のことを説明できないのだろうか? 本書においてバトラーは、こうした状況を分析し、さらに、こうしたもどかしい状況だから可能な倫理の形を追求している。→ 2020/05/22

まあい

4
他者は、自己に先立って存在している。その事実と徹底的に向き合う論考。倫理規範が普遍性を騙るさいに発生する暴力(=「倫理的暴力」)に、私たちはどのようにして抵抗できるのか。マイノリティの生存戦略を考える上で重要な一冊と言えるだろう。(引用)「私たちが行い、語るとき、私たちは自分自身を顕わにしているだけでなく、誰が語る存在であるかを決定する理解可能性の図式に影響を及ぼし、それを切断し、見直させ、その規範を強固にし、もしくはそのヘゲモニーと闘っているのである」(p.242-243)2017/06/21

Hiroyuki

3
全体としての論旨はなんとか理解できるが、ところどころ論理が飛躍しているように思える。僕が読み逃しているのか、バトラーが不親切なのか。一段落まるごと引用しないとどこに論理の飛躍があると思っているのか例示できないので字数の関係上できないが、多分その両方な気がする。2012/04/28

madofrapunzel

1
★★★★☆ 主にフーコーの「主体化=従属化」というポスモダの一つのテーゼを深く立ち入って検討し、バトラーの用語では呼びかけ―呼びかけられという概念によって主体の根拠を論ずる。結論としては、主体は他者によって生起するものであるが、まさにそれゆえにそこにチャンス(脱主体化)もあるということ。実に難しい問題をまっすぐ受け止める彼女の冷静な視点が見えてくる。2013/06/19

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